慈雲院 〔妙心寺〕  (京都市右京区)
Jiun-in Temple
慈雲院  慈雲院
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 妙心寺境内の南に塔頭・慈雲院(じうんいん)はある。
 臨済宗妙心寺派。  
◆歴史年表 江戸時代、1653年、大坂の橘屋新兵衛(一空覚心居士)が妙心寺194世・湛月紹円を開祖に請じて創建した。当初は慈雲庵(じうんあん)と称し、妙心寺北総門前にあった。
 近代、1878年、元厚住持により、現在地の盛岳院(せいがくいん)跡に移る。湛月が中興した松濤庵(しょうとうあん)、大森・寿仏寺(じゅぶつじ)を併合する。
◆湛月紹円
 江戸時代前期の臨済宗の僧・湛月紹円(たんげつ-しょうえん、1607-1671/1672)。大虚霊光(たいきょ-れいこう)禅師。1622年/1653年、妙心寺塔頭・慈雲院松濤庵を中興した。1636年、大坂・大仙寺住持になる。1654年、妙心寺194世になる。1661年、妙心寺に再住した。泉州住吉・龍源寺、大坂・天瑞寺の開山になった。
 文筆、和歌に優れ、道歌百人一首中に選ばれた。黄檗隠元と詩文により交流する。64歳。
◆池田恒興 室町時代-安土・桃山時代の武将・池田恒興(いけだ-つねおき、1536-1584)。通称は勝三郎、紀伊守、信輝(のぶてる)、号は勝入(しょうにゅう)、諡号は護国院。尾張(愛知県)の生まれ。池田恒利の子、母は養徳院(織田信長の乳母)。父は織田信秀、信長乳母の子ともいう。母・養徳院が織田信長の乳母になり、幼少より信長、後に信秀に仕え戦功をたてる。1555年、尾張海津に戦い、1558年、信長の弟・信行の謀反を討つ。1560年、桶狭間の戦い功により、信長より名字を授かり、信輝と改め士大将になったともいう。1570年、犬山城主になる。1578年、荒木村重を討伐した。1580年、荒木村重の摂津・花隈城を攻略し、摂津に領地を得る。この頃、明智光秀の与力になる。1581年、摂津軍団を率い因幡鳥取城攻略の助勢を命じられた。1582年、本能寺の変後の山崎の合戦で、豊臣秀吉に従い明智軍を破る。領国として摂津大坂などを与えられ、大坂城に在城した。美濃大垣に国替になる。清洲会議で織田家の四宿老の一人になる。1583年、賤ヶ嶽の合戦は秀吉に与し柴田勝家を破る。その功により美濃(岐阜県)・大垣城主になる。1584年、長久手の戦いで三河へ向かい、徳川家康軍の奇襲によりに嫡子・元助、女婿・森長可とともに敗死した。49歳。
◆養徳院 室町時代-江戸時代の女性・養徳院(ようとくいん、1515-1608)。近江(滋賀県)の生まれ。池田政秀の娘。滝川貞勝の次男・池田恒利(後に池田家の養嗣子)の正室になる。夫恒利と共に信長に厚遇される。1536年、恒興を産む。夫の主君・織田信秀の嫡男・吉法師(後の織田信長)の乳母になる。信長は養徳院の乳房のみ噛み破らなかったという。大御乳(おおおち)様と称された。後に、恒利と離縁、信秀の側室になり、娘・小田井殿(栄輪院)を産む。孫・輝政の播磨国姫路城で亡くなる。戒名は養徳院殿盛嶽桂昌大姉。94歳。
◆宙外玄杲 江戸時代前期の臨済宗の僧・宙外玄杲(?-1636)。詳細不明。春江門派。妙心寺塔頭・盛岳(嶽)院開祖。
◆盛岳院 盛岳(嶽)院(せいがくいん)は、前身を桂昌院と称したという。総門付近にあり、安土・桃山時代、文禄年間(1592-1596)に池田恒興の子・輝政が宙外玄杲(ちゅうがい)を請じて創建した。近代に入り廃寺になる。
◆文化財 「玉浦禅師像」「魚籃観音図」、湛月紹円筆「法語」「詠百首和歌」。
◆墓 池田恒興(信輝)、恒興の母・盛岳院(養徳院)の墓があるという。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『妙心寺』、『妙心寺 六百五十年の歩み』 、ウェブサイト「コトバンク」


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慈雲院 〒616-8035 京都市右京区花園妙心寺町1  075-461-6858 
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