|
|
金台寺(金臺寺) 〔妙心寺〕 (京都市北区) Kontai-ji Temple |
|
金台寺 | 金台寺 |
![]() ![]() |
![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
妙心寺境内の北東に境外塔頭・金台寺(こんたい-じ)がある。 臨済宗妙心寺派、東海派。本尊に釈迦牟尼仏を安置する。 ◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。 平安時代中期、寛忠小僧都(906-977)による創建という。かつて東山・泉涌寺の末流として、池上金臺寺、池上寺(いけがみ-じ)と称されたという。 後(年代不詳)、北山に移される。 安土・桃山時代-江戸時代、僧・元昌喝食が住したという。 安土・桃山時代、1576年、第106代・正親町天皇より再興の綸旨が下される。 1591年、豊臣秀吉は、朱印100石を付与する。 江戸時代、1607年、妙心寺131世・輝獄宗暾(きがく-そうとん)が国泰寺(こくたいじ)と改め、開山1世になる。 1637年、鳳台院(鳳臺院、ほうだいいん)に改める。妙心寺門外塔頭になる。 近代、1876年、寺号、金台寺に復する。 ◆寛忠 平安時代中期の真言宗の僧・寛忠(かんちゅう、906-977)。男性。通称は池上僧都。父・敦固(あつかた)親王の第3王子。祖父・寛平法皇(第59代・宇多天皇)のもとで出家した。淳祐、寛空より灌頂を受け、真言密教広沢流の法を嗣ぐ。960年、内供奉(ないぐぶ)、968年、律師、親王の子初の僧綱(そうごう)の職に就く。969年、権少僧都、東寺長者になった。72歳。 ◆元昌喝食 安土・桃山時代-江戸時代の僧・元昌喝食(?-?)。詳細不明。妙心寺58世・南化玄興(?-?)の弟子という。 ◆輝獄宗暾 安土・桃山時代-江戸時代の僧・輝獄宗暾(?-?)。詳細不明。公卿・五条為康(1501-1563)の次男。東海派宗下、沢彦宗恩(?-?)の法孫。妙心寺131世。 ◆仏像 ◈本尊は「釈迦牟尼仏」を安置する。 ◈右脇壇に菅原道真という「十一面観音」が安置されている。かつて北野社にあり、近代、1868年の神仏分離令後の廃仏棄釈により当寺に遷された。 *非公開 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『妙心寺』、『妙心寺 六百五十年の歩み』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() |
|
![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() |
![]() |
|