海蔵院 〔東福寺〕 (京都市東山区)
Kaizo-in Temple
海蔵院 海蔵院 
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 東福寺境内の北に塔頭・海蔵院(かいぞういん)がある。現在は境内に社会福祉法人「洛東園」が開設されている。 
 臨済宗東福寺派。本尊は聖観音。
◆歴史年表 鎌倉時代、1332年、1331年とも、東福寺15世・虎関師錬(こかん しれん)の退隠所として創建された。
 1346年、虎関師錬の没後、その塔所になる。
 南北朝時代、1382年、焼失し、「元亨釈書」の版木を失う。
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)初頭、近衛家の香華院(こうげいん)になる。
 江戸時代、1651年、第108代・後水尾天皇第3皇女・昭子内親王が葬られた。近衛家の墓は大徳寺に移される。
 1788年、東福寺朱印地の内41石余の配当を得ていた。(「禅宗済家五山東福寺本末帳」)
 現代、1952年、境内で養老施設が事業を始める。
◆虎関師錬 鎌倉時代-南北朝時代の臨済宗の僧・虎関師錬(こかん しれん、1278-1346)。京都に生まれた。父は藤原左金吾校尉、母は源氏。1285年、8歳で臨済宗聖一派三聖寺・東山湛照(とうざん たんしょう)に師事、1287年、比叡山で受戒。1291年、師没後、南禅寺・規庵祖円、1293年、鎌倉・円覚寺の桃渓徳悟らに付く。京都の菅原在輔、六条有房より儒学を学ぶ。1295年、再び規庵に参じ、鎌倉に下向、円覚寺・無為昭元(むい しょうげん)、1297年、建仁寺・無隠円範、1299年、南禅寺・規庵、1304年、東福寺・蔵山順空、無為昭元に学ぶ。1307年、円覚寺・無為、建長寺の一山一寧(いっさん いちねい)を尋ね、1312年、建長寺・約翁徳倹に参じた。1313年、後伏見上皇(第93代)の命により歓喜光院に住した。1314年、白河・済北庵、1316年、伊勢・本覚寺を開く。1324年、山城・円通寺、1326年三聖寺に住し、1332年、伊勢・神賛寺の開山、東福寺に住した。1335年、三聖寺再住、1337年、東福寺再住、1338年、三聖寺・如意庵を開く。1339年、南禅寺住持、1341年、東福寺・海蔵院に退き海蔵和尚と呼ばれた。1346年、洛北柏野(かしわの)・楞伽寺(りょうがじ)を建立する。海蔵院で亡くなり、済北庵、海蔵院に葬られた。諡号は本覚(ほんがく)国師。法嗣に性海霊見、龍泉令淬など多い。
 博覧強記の仏教史家であり儒学も修め、詩文を学び五山文学の先駆者とされた。1322年日本初の仏教通史で漢文体の『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』30巻を著す。仏教伝来から書き始め、700年間にわたる伝(400人の伝記)、表(皇室関係の仏教記事)、志(制度、歴史、音楽など10種の範疇)の三部構成になっている。
◆昭子内親王 江戸時代の皇族・昭子内親王(1625-1651)。女二宮(おんなにのみや)。第108代・後水尾天皇の第3皇女。母は東福門院。女帝の第109代・明正天皇の妹。1636年、従兄で関白の近衛尚嗣に降嫁。1641年、娘・好君(後の伏見宮貞致親王妃)を産む。27歳。戒名は光明心院宮。
◆文化財 南北朝時代の絹本著色「虎関和尚像」(重文)。
 南北朝時代、紙本墨書『元亨釈書』30冊(重文)。
 南北朝時代、『楞伽禅寺(りょうがぜんじ)私記』(重文)。いずれも京都国立博物館寄託。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『旧版 古寺巡礼京都 18 東福寺』『京都の禅寺散歩』『京都・山城寺院神社大事典』『事典 日本の名僧』『京都古社寺辞典』


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