等観院 〔天龍寺〕 (京都市右京区) 
Tokan-in Temple
等観院 等観院 
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聖観世音菩薩

 天龍寺之境内、勅使門の南西に塔頭・等観院(とうかんいん)がある。「等観」とは、仏教語で「ものごとを見極め、何事も等しく観る」ことを示すという。
 臨済宗天龍寺派。本尊は十一面観世音菩薩を安置する。 
◆歴史年表 南北朝時代、1386年、管領・細川満元が建立したという。開山は徳叟周佐による。また、徳叟の開基の退隠寮、正持庵(しょうじあん)を復興したという。
 近代、1877年、神仏分離令後の廃仏毀釈により荒廃する。
 1885年、正持庵が廃寺になる。
 1921年/1919年、峰山・吉村の志願により、天龍寺境内の現在地に移して復興された。
◆徳叟周佐 南北朝時代-室町時代の臨済宗の僧・徳叟周佐(とくそう-しゅうさ、1324-1400)。俗姓は佐竹、諡号は宗猷達悟禅師。常陸(茨城県)生まれ。夢窓疎石に師事しその法嗣になる。等持寺、永徳年間(1381-1383)、鎌倉・瑞泉寺、1384年、天龍寺に住し20世になる。相国寺建立を助ける。1391年-1392年、南禅寺49世になった。1393年、南禅寺火災後に再住し、復興する。至徳年間(1384-1386)、南禅寺・正因庵に退隠し、西山・正持庵を兼ねる。両所に塔所を設けた。夢窓派。 77歳。
◆細川満元 室町時代前期の守護大名・細川満元(ほそかわ-みつもと、1378-1426)。法名は道観、道号は悦道、通称は五郎、岩栖院と称された。頼元の子。1397年、父の死去により家督を継ぐ。摂津・土佐・讃岐・丹波の守護になる。1412年、管領職に就任し、4代将軍・足利義持を補佐した。1421年、管領を辞任した。右馬助。右京大夫。従四位下。49歳。
歌人としても知られた。
◆仏像 ◈本堂内陣、須弥壇に、本尊の「十一面観世音菩薩」を安置する。
 ◈境内に聖観世音菩薩が立つ。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料  『天龍寺』、『京都の禅寺散歩』、ウェブサイト「等観院」 、ウェブサイト「コトバンク」


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等観院 〒616-8385 京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町61   075-871-1965
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