如意庵 〔大徳寺〕 (京都市北区)
Nyoi-an Temple
如意庵  如意庵
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 大徳寺境内北に塔頭・如意庵(にょいあん)がある。大徳寺で最初の塔頭になる。
 臨済宗大徳寺派。 
◆歴史年表 南北朝時代、応安年間(1368-1375)、方丈北に言外宗忠(ごんがい-そうちゅう)により創建されたという。
 1380年、如意庵の寺領寄進状に庵号が初見される。以後も寄進が相次いだ。近世以前まで、地方土豪・武士の氏寺として多くの末寺を得る。
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)で焼失した。
  祖渓宗臨(?-1501)が再興し、第105代・後奈良天皇の宸翰額字を贈られる。
 江戸時代、寛永年間(1624-1644)、塔頭・徳禅寺の東南に移される。一時、徳禅寺に合祀されたともいう。
 1656年、塔頭・龍翔寺の東北に移る。
 享保年間(1716-1736)、塔頭・松源院の西南に移る。一時、松源院に合祀されたともいう。
 現代、1972年、聚光院北の現在地に、511世・大龜宗雄(だいき-そうゆう)が再興した。
◆言外宗忠 鎌倉時代後期-南北朝時代の臨済宗の僧・言外宗忠(ごんがい/げんがい-そうちゅう、1315-1390)。俗姓は越智、諡号は密伝正印(みつでんしょういん)禅師。伊予(愛媛県)の生まれ。19歳で村の寺で出家した。近江・積翠寺・白翁宗曇(はくおう-そうどん、徹翁義亨の兄)に謁し、大徳寺の徹翁に参じ印可される。1376年、大徳寺7世になる。伊予・五岳山雲門庵、摂津鳴尾・江月山長芦寺(鳴尾寺)、摂津尼崎・瑞雲山広徳寺、播磨・海珠寺、山城・見性寺に住した。大徳寺・如意庵に塔された。86歳。
 1528年、諡号は密伝正印禅師。
◆祖渓宗臨(尾和宗臨) 室町時代後期の堺の豪商・祖渓宗臨(そけい-そうりん、?-1501)。通称は四郎左衛門、号は祖渓、 尾和(おわ)宗臨。貿易商で、明貿易で富を得た。大徳寺の一休宗純に参禅した。応仁・文明の乱(1467-1477)後、大徳寺の再建を助けた。文明年間(1469-1487)、仏殿、方丈、大厨、塔頭・大用庵、如意庵、徳禅寺などを再建した。方丈の再建では、西域諸国の貿易に従事した持ち船の帆柱を厨庫の棟梁にあて、船板は腰板に使用したという。一休没後、1491年、一休のために真珠庵を創建した。
 真珠庵(北区)に葬られる。遺言により資産は、代々にわたり当庵の修復に当てられた。
◆大龜宗雄 近現代の臨済宗の僧・大龜宗雄(だいき-そうゆう、1899-2005)。立花大亀。大阪市生まれ。堺市実業補習学校を卒業した。1921年、出家する。大徳寺・徳禅寺の住持になる。大徳寺派宗務総長を2期務めた。1957年-1961年、花園大学長になる。1963年、最高顧問になった。1968年、大徳寺511世になる。大徳寺最高顧問、1973年、大徳寺内に如意庵を復興して庵主になる。著『利休に帰れ』など。105歳。
 財界人・松永安左衛門、松下幸之助、政治家・池田勇人らと親交があった。
◆茶室 大龜宗雄好みの四畳半向切「玄庵(げんあん)」がある。
◆庭園 本堂東庭がある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『別冊愛蔵版 淡交 大徳寺と茶道 その歴史と大徳寺僧の書』、『紫野大徳寺の歴史と文化』、『京都・紫野大徳寺僧の略歴』 、ウェブサイト「コトバンク」


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如意庵  〒603-8231 京都市北区紫野大徳寺町106-2   075-492-2974
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