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妙泉寺 (京都市中京区) Myosen-ji Temple |
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妙泉寺 | 妙泉寺 |
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![]() ![]() ![]() 「弘法大師自刻福寿辨財天像」の石標 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 本堂 ![]() 本堂 ![]() ![]() ![]() ![]() 弁天堂 ![]() 弁天堂 ![]() ![]() 観音堂(専求庵) ![]() 観音堂(専求庵) ![]() 涌法道泉善士、涌岳妙泉善女の墓 ![]() 西川祐信の墓 ![]() 源琦の墓 |
上瓦町に三条通に面して妙泉寺(みょうせん-じ)がある。山号は法性山、院号を専求院という。 この地はかつて、神泉苑内に含まれていたという。本能寺の故地ともいう。浮世絵師・西川祐信、絵師・駒井琦の菩提寺になっている。 浄土宗百万遍知恩寺末、本尊は阿弥陀如来。 洛中弁財天二十九所第24番札所。 ◆歴史年表 安土・桃山時代、1582年、妙泉寺は、道泉の妻・妙泉が夫の没後に開創したという。天誉の開山による。 江戸時代、1788年、天明の大火により焼失した。本尊だけが焼失を免れる。 文化年間(1804-1818)、19世・界誉により再建された。本殿、客殿、玄関が再建される。 ◆妙泉 安土・桃山時代の妙泉(?-?)。詳細不明。女性。涌岳妙泉善女。織田信長家臣・涌法道泉善士の妻。1582年、妙泉寺を開創した。 ◆天誉 安土・桃山時代-江戸時代前期の浄土宗の僧・天誉(てんよ、?-1638)。詳細不明。徳蓮社天誉。1582年、妙泉寺を創建した。 ◆界誉 江戸時代後期の浄土宗の僧・界誉(?-? )。詳細不明。法蓮社界誉上人周阿察静善冏。当寺19世。文化年間(1804-1818)、妙泉寺を再興する。中興の祖とされる。 ◆西川祐信 江戸時代前期-中期の浮世絵師・西川祐信(にしかわ-すけのぶ、1671-1750/1751)。男性。号は自得斎、自得叟、文華堂、通称は祐助、孫右衛門、右京。京都の生まれ。父・近江の医家・西川祐春の3男。後、西園寺致季の家人になる。絵は狩野永納、土佐光祐に学ぶ。元禄期(1688-1704)後期、版元・八文字屋本の挿絵、狂言本、評判記、浮世草子、雛形本を手がけた。肉筆美人画という浮世絵に優れた。閨中の好色絵本も数多く描く。各層100人の女性風俗を描いた墨摺風俗絵本「百人女郎品定」(1723)、八坂神社に大絵馬「釣狐図」が奉納されている。江戸浮世絵の菱川派に対して上方の西川派を開いた。代表作「絵本百人女郎品定」など。80歳。 墓は妙泉寺(中京区)にある。 ◆駒井琦 江戸時代中期-後期の絵師・駒井琦(こまい-き、1747-1797)。字は子韞(しうん)、通称は幸之助、源琦(げんき)。京都の生まれ。円山応挙に学び応門十哲の一人。1790年、応挙一門と御所造営に加わる。花鳥、美人画を描いた。唐美人は山口素絢の倭美人と比された。応挙晩年の作品の多くは琦の手によるともいう。50歳。 墓は妙泉寺(中京区)にある。 ◆仏像 ◈本尊は「阿弥陀如来三尊像」であり、安阿弥(快慶)作という。 ◈弁天堂に祀られている「福寿辨財天像」は、平安時代前期、814年、空海(774-835)が、神泉苑での降雨修法に際して、護摩の焚灰により造仏したという。 ◆文化財 ◈「百万遍念佛縁起」、百万遍大念珠。 ◈円山応挙筆の「四季耕作之図」、駒井琦筆「鷺の図」、西川祐信などの作品がある。 ◆墓 ◈浮世絵師・西川祐信(にしかわ-すけのぶ、1671-1750/1751)の五輪塔が立つ。「西川氏先祖代々霊儀」と刻まれている。 ◈絵師・駒井琦(こまい-き、1747-1797)の墓がある。碑文は儒学者・皆川淇園(みながわ-きえん 、 1735-1807)の撰による。「源琦之墓」と刻まれている。 *非公開 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 妙泉寺縁起、『京都大事典』、『京都府の歴史散歩 上』、『京都歴史案内』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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