天祥院 〔妙心寺〕 (京都市右京区)
Tensho-in Temple
天祥院 天祥院 
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 妙心寺の境内北西に塔頭・天祥院(てんしょういん)がある。 
 臨済宗妙心寺派。
◆歴史年表 江戸時代、1645年、松平忠弘は、父・忠明の菩提を弔うために妙心寺154世・乳峯義元(にゅうほう ぎげん)を開祖に請して開創した。
 近代、1878年、慈性院を合併した。
 1886年、土蔵と門を除いて焼失する。
 1889年頃より、再建に着手する。
 1976年、本堂が再建された。
 2008年、綴プロジェクト(文化財未来継承プロジェクト)」は、高精細複製の海北友松筆「竹林七賢図襖」「山水図襖」を同寺に寄贈した。
◆乳峯義元 江戸時代の臨済宗の僧・乳峯義元(にゅうほう ぎげん、生没年不詳)。詳細不明。妙心寺154世。武蔵・天祥寺の世代、1631年、栽松庵(前の一華院)の開基、1645年、妙心寺・天祥院を開創した。
◆松平忠弘 江戸時代の大名・松平忠弘(1631-1700)。陸奥大和藩主・松平忠明の長男。父没後、12歳で姫路藩の家督を継ぐ。1648年、年少を理由に出羽山形に転封、1668年、下野宇都宮に国替、1681年、陸奥白河に移封。家督争いが起こり、家臣団を巻き込み、婿派(次女・長福姫の婿・乗守)と孫派(忠弘の長男・清照の子・斎宮、後の左膳忠雅)の対立になる。(白河騒動)。幕府処分により、1692年、減封、山形に国替になる。隠居、後に宇都宮へ転封になる。家督は斎宮に継がせた。
◆松平忠明 安土桃山時代-江戸時代初期の武将、大名・松平忠明(1583-1644)。徳川氏の重臣・奥平信昌の4男、母は徳川家康の娘・亀姫(盛徳院)。1588年、家康の養子になり、松平姓を許された。1592年、兄死後、家督を継ぎ、上野長根に所領を得る。1600年、関ヶ原の戦いで父と共に徳川方として参戦、1602年、三河作手藩主。1610年、伊勢亀山藩に加増移封。1614年、大坂冬の陣で、河内口方面の大将となる。休戦協定後、家康の命で大坂城外堀・内堀の埋め立て奉行。1615年、大坂夏の陣の功により摂津大坂藩藩主。1619年、大和郡山藩へ加増移封。1632年、家光の後見人(大政参与)の一人に任じられる。1639年、播磨姫路藩に加増移封、江戸幕府の宿老。多くの都市計画を手掛け、京都では伏見町人の大坂移住、堀川開削などを行う。『当代記』を著した。
◆狩野山雪 安土・桃山時代-江戸時代の画家・狩野山雪(1589-1651)。名は光家。肥前に生まれる。父は千賀道元。一家で大坂に移り、16歳で父没後、狩野山楽の門人になる。山楽の娘婿となり、狩野氏を継いだ。1629年頃、山楽とと もに「当麻寺縁起絵巻」、1631年、山楽に代わり妙心寺・天球院の障壁画を手掛ける。1632年、林羅山の依頼で、林氏学問所先聖殿「歴聖大儒像」、1635年、山楽没後京狩野2代を継ぐ。1639年、清水寺の「繋馬図絵馬」、1647年、九条家の命により東福寺蔵の伝明兆筆「三十三観音像」中の2幅を補作、法橋に叙せられる。同年泉涌寺舎利殿の天井画雲竜図を制作。1649年、何らかの理由により投獄、没。泉涌寺に葬られた。
 400人の画人伝『本朝画史』(1691)は草稿段階で山雪が亡くなり、後に子の狩野永納が引き継いで刊行した。
◆慈性院 慈性院(じしょういん)は、江戸時代、1677年、延宝年間(1673-1681)とも、龍泉派の呑海が京極主膳正を開基として創建した。南陽軒を前身とする。近代、1878年、天祥院に合併された。
◆文化財 狩野山雪筆「「白衣大士像」「刺繍青面金剛尊」、開基「奥平(松平)忠明像」など。
◆「老梅図襖」 2008年、綴プロジェクト(文化財未来継承プロジェクト)」は、高精細複製の「老梅図襖」を同寺に寄贈した。「老梅図襖」とは、狩野山楽晩年の作で最高傑作のひとつとされている。かつて当寺奥襖絵としてあり、近代、1868年以降の神仏分離令後の廃仏毀釈により寺より流出した。明治期(18687-1912)末、元大蔵大臣・片岡直温邸にあり、1942年片岡邸を譲り受けた京都の実業家・常田氏の手に渡る。1955年以降(昭和30年代)、常田氏より離れた。現在、アメリカのメトロポリタン美術館に所蔵されている。
 紙本金地着色「老梅図襖(The old plum tree)」4面(166.7×116cm)は、江戸時代、1647年に制作された。金地の画面全体に老木の梅樹が表現されている。太い幹と枝が画面右手より左に向けてS字の曲線を描いて伸びる。枝には小さな白梅が花付ける。大木は弧を強調しているようで、木も両脇の岩もまた垂直・水平方向が強調される独特の筆方による。老木とは対照的に、画面左端に小さく赤い躑躅が花を付けており、写実的な筆致により全体の均衡を保つ。
◆花暦 紅葉(11月)。
◆墓 御殿医・奥渓(おくたに)家の墓がある。


*非公開
*参考文献 『妙心寺』『妙心寺 六百五十年の歩み』『増補版 京都の医史跡探訪』


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天祥院 〒616-8035 京都市右京区花園妙心寺町43   075-463-6502  
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