広野廃寺跡 (宇治市)
The ruins of Hirono-haijiato Temple
広野廃寺跡 広野廃寺跡 
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「広野廃寺跡」の石標、交通量の多い道路沿いに石標だけが立つ。
 宇治市広野の広野小学校近く、道路脇に「広野廃寺跡(ひろの はいじあと)」という石標のみが立っている。周辺からは、廃寺と寺院に関係したとみられる豪族の屋敷遺構ほか、一里山遺跡、一里山古墳など複数の古墳もある。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 飛鳥時代、白鳳時代、7世紀(601-700)末、氏寺の広野廃寺が建立されたという。
 8世紀(701-800)中期、大規模な改修が行われる。
 8世紀第3四半期、廃絶する。
 現代、2006年、宇治市歴史資料館による広野廃寺の南東、広野遺跡(宇治市広野町大久保小グラウンド)の発掘調査が行われ、広野廃寺に関わるとみられる豪族の館の堀跡が発見される。
◆広野廃寺遺跡・広野遺跡 広野廃寺の詳細はわかっていない。
 一帯では7世紀前半の集落跡が見つかっており、その跡地に氏寺の拠点として寺院が創建されたとみられている。現在、寺院の遺構は西側築地のみが確認されている。推定1町四方の寺域に、東西に塔、金堂が建てられていたとみられている。7世紀後半の出土した瓦は、川原式軒丸瓦で、高麗寺、久世廃寺、平川廃寺との深い関連が指摘されている。寺域外に井戸跡、瓦、土器、柱跡なども見つかっている。
 広野廃寺遺跡南端は、直径30㎝の柱列(2間分)があり、掘立柱塀の柱穴の可能性が高い。寺域の範囲は110m四方あったとみられている。
 2006年、広野廃寺の南東で、宇治市歴史資料館による広野遺跡(宇治市広野町大久保小グラウンド)の発掘調査が行われた。飛鳥時代、7世紀前半、豪族の館の周囲をめぐらしていた直角に曲がる堀遺構(地表下4m地点に鋭角に削られた深さ2m-2.5mの溝)が見つかった。敷地は、堀の北側を流れる三軒茶谷川と南側の名木川の合流地点の間にあったという。豪族は広野廃寺に何らかの関わりがある氏族とみられている。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都府埋蔵文化財情報第 106 号』『城陽市史 第1巻』


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