老ノ坂峠子安地蔵(峠地蔵),Oinosakatoge-koyasujizo,Kyotofukoh



  老ノ坂峠子安地蔵(峠地蔵・旧大福寺) (亀岡市)
Oinosakatoge-koyasujizo
老ノ坂峠子安地蔵 老ノ坂峠子安地蔵 
50音索引  Home 50音索引  Home


 かつて山城国と丹波国を結んだ山陰街道(現在の国道9号線)沿い、石垣上に小堂の地蔵堂が建てられている。安置されている老ノ坂峠子安地蔵(おいのさかとうげ こやすじぞう)は、古くより安産守護の地蔵尊として崇敬されてきた。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 平安時代、大福寺(だいふくじ)(現在の老ノ坂トンネル西口付近)が開かれ、恵心僧都(源信、942-1017)が刻んだという子安地蔵尊が安置されていたという。
 近代、1933年-1936年、国道9号線の老ノ坂トンネル工事の際に、大福寺は廃寺になる。地蔵尊は現在地に遷されている。
◆地蔵 老ノ坂峠子安地蔵は木造漆箔、蓮華座に結跏趺坐し、右手に錫状、左手を膝上にして宝珠を載せる。江戸時代作とみられる。像高65cm。
 逸話が残されている。平安時代、かつて老ノ坂に市盛長者(いちもり ちょうじゃ、佐伯郡の司秋高とその娘・桜姫とも)が住んでいた。一人娘が難産の末に亡くなる。比叡山横川の恵心僧都(源信、942-1017)が当家に投宿した際に、娘の亡霊が現れる。
 亡霊は冥土の苦しみを僧都に訴え、救済を請う。僧都が仏法を説くと、娘の苦しみが消えたという。娘はその報恩として、地蔵尊を造り安置すれば、以後、産婦の難産死を救うと約束した。僧都はそれに従い、娘の塚に生えていた柏の木で地蔵尊を刻み、これを安置したという。これが大福寺の始まりとされ、以後、安産守護の地蔵尊として信仰を集めたという。(「都名所図会」「桑下漫録」)
 地蔵尊は、かつて首塚大明神付近にあり、その後、遷された。


*普段、門扉は施錠されている。地蔵尊は仁和寺に遷されたとも。?
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都市の地名』『新版 京のお地蔵さん』『史跡探訪 京の七口』


  関連・周辺老坂峠・首塚大明神       周辺       関連          
 老ノ坂峠子安地蔵 〒621-0827 京都府亀岡市篠町王子田ノ尻   0771-22-0698
  Home     Home  
   © 2006- Kyotofukoh,京都風光