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西雲寺 (京都市上京区) Saiun-ji Temple |
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西雲寺 | 西雲寺 |
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![]() ![]() ![]() 「日本三体 安産地蔵尊」という木札が掛かる。 ![]() ![]() 本堂 ![]() 本堂 ![]() ![]() ![]() 賓頭盧(びんづる)尊者 ![]() 鎮守社、稲荷社? ![]() 夫婦松 ![]() 【参照】「 南馬喰町」( 上京区)の町名 |
北野天満宮の南、馬喰町(ばくろう-ちょう)に西雲寺(さいうん-じ)はある。奈良時代-平安時代の空海(774-835)ゆかりという安産地蔵尊(星見地蔵)が安置されている。山号は万松山という。 天台宗真盛派、本尊は阿弥陀如来三尊。 ◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。 江戸時代、1665年、僧・海中が中興したという。 寛永年間(1661-1673)、地蔵菩薩立像(星見地蔵)は、空海の生まれた阿波国より当寺に遷されたという。真言宗の僧・玄恵律師の手によるともいう。 ◆海中 江戸時代の僧・海中(?-?)。詳細不明。1665年、西雲寺を中興したという。 ◆空海の母 奈良時代-平安時代の空海の母(?-?)。詳細不明。阿刀大足(あとのおおたり)の娘、また妹ともいう。名は玉依御前、阿古屋御前などともいう。 ◆地蔵 本堂安置の「地蔵菩薩立像」は、星見地蔵、安産地蔵、歯痛止めの歯塚地蔵さんとも呼ばれた。逸話が残されている。 空海の母・阿刀(あと)氏は、子が産まれず憂えていた。そのため、夜空に輝く明星に祈願し、17日間拝した。だが、満願の夜に、天は曇り星が見えなかった。やむなく一心に地蔵尊に念じた。どこからともなく一人の異僧が現れる。僧は天の方を指差して再び消えた。母は不審に思い天を仰ぐと、黒雲の中に明星が輝くのが見えた。 その後、間もなくして懐妊する。774年に一人の男児を無事に出産した。その子の名こそ、後の空海だったという。後に空海は、母とともに地蔵尊を造立し安置した。それが本像という。 ただ、現在の地蔵尊は江戸時代作という。立像は顔を向かって右上に見上げている。あどけない表情で、あたかも星を仰ぎ見ているようであり、星見地蔵といわれた。左手に錫状を斜めに持つ。宝珠はなく、右手は下げ自らの袈裟の端を手繰っている。一木彫、像高60cm。 ◆行事 妊娠5カ月に岩田帯授与、9カ月9日に御茶湯が授与される。 *年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。 *年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『京都市の地名』、『新版 京のお地蔵さん』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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