朝日神明宮 (京都市下京区)
Asahi-shimmei-gu Shrine
朝日神明宮 朝日神明宮 
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本殿拝所



本殿




末社・猿田彦社(幸神社)、「猿田彦命、宇寿女命」の扁額。



末社・猿田彦社(幸神社)



御幣を背負う鬼門除けの猿
 鱗形町(しもうろこがたちょう)に朝日神明宮(あさひ しんめい ぐう)は西面して建てられている。 
  祭神は本社に天照大神(あまてらすおおかみ)、相殿に国常立命(くにとこたちのみこと)、伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)、倭姫命(やまとひめのみこと)、末社・幸神社に猿田彦命(さるたひこのみこと)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祀る。
◆歴史年表 平安時代、貞観年間(858-876)、倭姫のお告げにより丹波国桑田郡穴生(あのう)村(亀岡市)に造営されたという。(社伝)
 室町時代、1572年、現在地に遷座されたという。(社伝)
 江戸時代、享保年間(1716-1736)、初代・増穂(ますほ)大和守源宮仲が神主に就く。
 江戸時代、1788年、天明の大火により焼失する。(社伝)
 1864年、元治の兵火(禁門の変)により大半が焼失した。(社伝)
 近代、1872年、7代・増穂源仲広が辞する。
 現代、1961年、朝日神明社より朝日神明宮に改称している。
◆倭姫命 古墳時代の伝説的な皇族・倭姫命(やまとひめのみこと、?-?)。第11代・垂仁天皇第4皇女、母は皇后日葉酢媛命。第10代・崇神天皇皇女・豊鍬入姫命を継ぎ、天照大神の御杖代として大和国、諸国を経て伊勢国に入り、神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したという。斎宮の起源になる。甥・日本武尊の東夷討伐に際し、三種の神器の一つ天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を与えたという。伊勢・尾上御陵(おべごりょう)に埋葬されたという。
◆増穂残口 江戸時代中期の神道家・増穂残口(ますほ ざんこう、1655-1742)。豊後臼杵に生まれる。浄土僧、日蓮宗に改宗、江戸・谷中感応寺に住した。元禄年間(1688-1703)、幕府の不受不施派禁制により僧籍を離れる。諸国を流浪、神道家になり、1715年、還俗した。1719年、京都吉田家に入門、朝日神明社の神主になる。『艶道通鑑』などの「残口八部書」の著書は、神道をわかりやすく解説し残口流と称せられた。
◆幸神の森・末社 かつての境内は、南北は五条通から松原通、東西は河原町通から富小路通に至る広大なもので、鎮守の森は「幸神(さいのかみ)の森」と呼ばれていた。
 末社は、竈(かまど)神社、稲荷社、祓川社、恒情(こうじょう)神社、人丸(ひとまろ)社、飛梅(とびうめ)天神、八幡春日社、猿田彦社の八社があった。これらは、江戸時代には境内の南に建ち並んでいた。江戸時代の二つの大火により焼失した。
◆幸神社 本殿の後方に末社・猿田彦社(幸神社)が唯一残されている。祭神に猿田彦命、天鈿女命を祀る。
 神石二個(90cm四方の石版)を安置する。石は恵比寿、大黒の石ともいう。左方に子猿とそれを抱く親猿の石像がある。
◆年間行事 元旦祭(1月1日)、夏越大祓祭(6月30日)、大祭(9月吉日)、お火焚祭(11月吉日)、大祓祭(12月31日)。
 月並祭(毎月第2日曜日)。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都市の地名』『京都歴史案内』『あなたの知らない京都府の歴史』『京都の自然ふしぎ見聞録』 、ウェブサイト「コトバンク」


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神石二個、石は恵比寿、大黒の石ともいう。石は天から降下したという。左側の石には笑顔が見えるともいう。チャート。

親猿、子猿の石像。砂岩。

手水舎

【参照】下鱗形町の町名、その由来については不明。

【参照】「石門心学修正会舎」の石標
朝日神明宮 〒600-8059 京都市下京区下鱗形町,麸屋町通五条上ル 
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