三福寺 (京都市左京区)
Sampuku-ji Temple
三福寺 三福寺 
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本堂
 三福寺(さんぷくじ)の山門脇には「少林寺拳法」の大きな石標が立てられている。九品山阿弥陀院と号する。
 浄土宗西山深草派、本尊は地蔵菩薩像(夢見地蔵)、阿弥陀如来ともいう。
 江戸時代、洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の第26番札所になる。札所本尊は地蔵菩薩像(夢見地蔵)。
◆歴史年表 鎌倉時代、証入観鏡(1196-1245)は、五条宮ヶ辻(東大路松原西、新シ町付近)に真言宗阿弥陀院を創建した。当寺の前身になる。その後、各所に移転を繰り返す。
 中世(鎌倉時代-室町時代)、浄土宗西山派東山義の拠点になる。
 1304年、当寺を中興した東山義3代目・漸空了観が亡くなる。(三福寺過去帳)
 安土・桃山時代、天正年間(1573-1592)、豊臣秀吉の命により、寺町通下切通し下ルへ移転した。
 江戸時代、寛文年間(1661-1673)、第112代・霊元天皇の命により、僧・宝山が洛外・六地蔵以外の48か寺の地蔵尊を選んだ洛陽四十八願所の霊場の一つになる。地蔵尊は上下広く信仰を集めた。
 1708年、宝永の大火により類焼し、現在に移ったという。
◆証入 鎌倉時代の僧・証入(しょうにゅう、1196-1245) 。字は観鏡。号は寂静房。仁田(にった)忠常の子。浄土宗西山派の開祖・証空に師事した。京都東山の宮辻子(みやつじ、宮ヶ辻)に阿弥陀院を創建し、証空の浄土教義を広めた。五祖一轍義(ごそいってつぎ)を唱え、流派は東山義、宮辻子義といわれる。
◆漸空了観 鎌倉時代の僧・漸空了観(?-1304)。詳細不明。東山義3代目。1295年、仙洞御所で深草義の顕意と亀山法皇の御前問答を行う。三福寺を中興した。
◆上東門院 平安時代後期の第66代・一条天皇中宮・上東門院(じょうとうもんいん、988-1074)。彰子。父は藤原道長、母は源倫子。999年、入内した。1000年、中宮になる。道長の一帝二后への介入により中宮定子(1001年死去)とともに史上初の皇后並立になる。1008年、敦成親王(第68代・後一条天皇)を出産した。1009年、藤原伊周らによる中宮と親王が呪詛される事件が起こる。敦良親王(第69代・後朱雀天皇)を出産する。1011年、一条上皇が死亡し、1012年、皇太后になった。1018年、後一条天皇元服により太皇太后になり後見をする。1022年、仁和寺に観音院を建立した。1026年、出家し上東門院と号した。1037年、前年に亡くなった後一条天皇の火葬所に菩提樹院を建立する。1039年、法成寺で剃髪、受戒した。宇治木幡の藤原北家累代墓所、宇治陵に埋葬された。
 土御門第(上東門第)で敦成親王(後一条天皇)を出産した際の様子は、彰子に仕えた女房・赤染衛門作とされる『栄花物語』、また、紫式部の『紫式部日記』などにも記されている。ほかに和泉式部、伊勢大輔などが仕え歌壇・文壇を形成した。
◆本尊 本尊の「地蔵菩薩像(夢見地蔵)」は秘仏とされている。右手に錫状、左手に宝珠を載せる立像になる。
 平安時代、一条天皇中宮・上東門院(988-1074)が懐妊中に病になる。地蔵尊に祈願すると夢告を受けた。病平癒したため、仏師・定朝(?-1057)に彫らせたという。
 この地蔵尊に祈念すると皇子(第68代・後一条天皇、1008-1036)が無事に誕生した。以後、宮中に安置される。夢見地蔵とも呼ばれ安産地蔵として安置された。その後、当寺に遷されたという。非公開。
◆東山義 東山義(とうざんぎ)は、浄土宗西山派祖証空の門下六流の一つで、流祖は観鏡証入になる。証入は京都東山宮辻子に阿弥陀院を創建し、法流は東山義、宮辻子義といわれた。門流に漸空、了観、彰空を輩出した。
 教義は五祖一轍義(ごそいってつぎ)として、浄土の五祖の教義が同轍であるとした。


*一般には非公開。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都大事典』『新版 京のお地蔵さん』『旧版 京のお地蔵さん』 、ウェブサイト「法 水 分 流 記 に 於 け る 西 山 義 の 記 述 に つ い て 」、ウェブサイト「新纂浄土宗大辞典 - 浄土宗全書テキストデータベース」、ウェブサイト「コトバンク」  



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三福寺 〒606-8353 京都市左京区正往寺町463,仁王門通新高倉東入上ル  075-771-8749
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