大原神社 (京都市下京区)
Ohara-jinja Shrine
 大原神社  大原神社 
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拝所


本殿


本殿、大原大神宮、八品大明神
 善長寺町(ぜんちょうじちうょう)に大原神社(おおはら じんじゃ)がある。かつてこの地で善長寺があったことから地名の由来になった。 
 大原神社は大原大明神、瘡神(くさがみ)さんとも呼ばれている。
 祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと )、相殿に八品大神(はっぽんおおかみ)、事代主神(ことしろぬし)を祀る。
 出世、縁結び、安産、子育て、五穀豊穣、商売繁昌の信仰がある。
◆歴史年表 室町時代、永正年間(1504-1520)、僧・顕興忍想の開基により、綾小路町室町西(下京区)に善長寺が建立された。(「坊目誌」)。境内に福知山・大原神社(おおばらじんじゃ、天田郡三和町)より、鎮守社として大原神社(おおはらじんじゃ)が勧請された。
 安土・桃山時代、1591年、豊臣秀吉の都市改造に伴い善長寺が現在地(中京区)に移転した。(「坊目誌」)。その際に大原神社は旧地(現在地、下京区)に残された。
 以後、大原神社は三和・大原神社の出張所として三和・大原神社の御札が配られ、売り上げを上納していた。
 江戸時代中期、上納をめぐり三和・大原神社と対立し、以後、二社の関係は途絶える。
 現代、2001年、両社の交流が再開する。
 2002年以来、祇園祭の際に当社境内に綾傘鉾保存会の会所が開かれる。
◆大原神社・瘡神 善長寺の開創時に、境内に鎮守社として丹波国(福知山市天田郡三和町)の大原神社(おおばらじんじゃ)が勧請された。天一神社とも呼ばれ、祭神は伊邪那岐命(伊弉冉尊)ほかを祀る。社伝によれば、奈良時代、852年の創建といい、当初は美山町にあり、旧地には元社(もとしゃ)としていまも存在している。その後、鎌倉時代、1279年に三和に遷されたという。
 室町時代、永正年間(1504-1520)、善長寺建立の際に、現在地に当社が鎮守社として勧請された。「くさ(瘡、湿疹)」の平癒にご利益があるとされ、瘡神(くさがみ)として信仰された。瘡神は感染力、致死率の高い伝染病・天然痘を意味し、擬神化した疫病神を表している。
 丹波の大原神社は、イザナミ神、天照大神、月読命を祀り、安産の神としても崇敬されている。当社近くには、産屋があり、臨月を迎えた妊婦はこの天地根元造りの建屋に7日間籠り出産していた。善長寺の山号は、この大原神社に因み大原山になっている。
◆綾傘鉾 祇園祭の綾傘鉾は、現在の32基ある山鉾の中で珍しい傘鉾の形式であり、主流の山鉾の形になる以前の古い様式を残すものという。現在も伝えられている今宮神社(北区)のやすらい花の花傘と同じく、風流ものの形を残している。綾傘鉾は、少なくとも室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)以前、15世紀前半には始まっていたという。
 綾傘鉾は「風流拍子物」といわれ、鉦、笛、太鼓の囃子にあわせ、先に房の付いた5尺棒を用いる棒振り囃子であり、これを移動しながら踊る。壬生六斎念仏衆により奉仕され、赤熊(しゃぐま)面を付けた二人が締太鼓を打ち、覆面の棒振りが悪疫退三の踊りを披露する。傘による神霊の送迎とともに、市中の疫神、災いの厄除退散を行う意味が込められている。壬生・元祇園梛神社の神体が祇園社に遷座する際に花傘を立て、棒を振り、鉾を掲げて神輿を送ったことに起因するともいう。
 江戸時代後期、1864年の禁門の変の大火で綾傘鉾は焼失した。その後、近代、1879年-1884年に徒歩噺子として復活する。しかし、再び途絶した。1979年に綾傘鉾保存会により祭りは復興した。
 2002年、当社境内に祇園祭の際に、綾傘鉾保存会の会所が開かれている。踊り、囃子の練習にも使用される。祇園祭の巡行の際に、綾傘鉾は無事を祈り当社で御祓いを受けている。
◆年間行事 歳旦祭(1月3日)、例祭(11月3日)。
 月次祭(毎月3日)。


*年間行事の中止、日時変更、拝観時間変更の場合があります。*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考資料 『京都府の地名』『京都ご利益徹底ガイド』「綾傘鉾保存会」サイト 


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【参照】「善長寺町」の町名が残る。
大原神社 〒600-8431 京都市下京区善長寺町135-1,綾小路新町東入る  
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