桜井水 (京都市左京区)
Sakuraisui
桜井水  桜井水 
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法華題目の石標
 宝ヶ池近く狐坂下の林山(171m)にある桜井水は、古くより湧水があった。旱魃の際にも涸れなかったという。
 現在も湧水は続き、涌泉寺の墓参者の供え水として使われている。 
◆歴史年表 平安時代、1000年頃、「桜井」と記されている。(『枕草子』)
◆桜井水 平安時代の清少納言(966?-1025?)の『枕草子』(168段)には、「井は、ほりかねの井。走り井は逢坂なるがをかしき。山の井、さしも浅きためしになりはじめけむ。飛鳥井『みもひも寒し』とほめたるこそをかしけれ。玉の井、少将ノ井、櫻井、后町の井。千貫の井。」と記されている。
 ただ、この「櫻井」が当地に当るかについては異説もある。
 平安時代中期・紫式部(?-?)は、詞書「古歌に 六月ばかり 桜井の聖のもとに 行きたりしに」とし、「鶯の鳴きしに 春めける声に聞こえし 鶯は また桜井にすめるなりけり」(『日記歌』)と詠んだ。
 この地は、白河天皇桜井僧正(行慶)、後鳥羽天皇皇子・覚仁法親王(桜井宮)の旧跡ともいう。
◆行慶 平安時代後期の僧・行慶( ぎょうけい、1101-1165)。通称は桜井僧正、狛僧正。第72代・白河天皇の皇子、母は源政長の娘。大僧正行尊に天台を学ぶ。1135年、摂津四天王寺別当。権僧正。1152年、近衛天皇護持僧、園城寺長吏。
◆覚仁法親王 鎌倉時代の皇族・覚仁法親王(かくにん ほうしんのう、1198-1266)。桜井宮。第82代・後鳥羽天皇皇子、母は滝。法住寺に入る。1218年、親王、同年(1242年とも)、園城寺長吏、1248年、熊野三山・新熊野検校、後嵯峨上皇(第88代)熊野行幸の先達をした。1221年、承久の乱で流された弟の頼仁親王とともに備前・尊滝院で、五流修験再興に尽くしたという。
◆石碑 井の上に「南無妙法蓮華経」の法華題目が彫られた2mほどの石柱がある。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『昭和京都名所図会 3 洛北』 、ウェブサイト「コトバンク」   


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桜井水 京都市左京区東池ノ内町
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