城安寺 (京都市東山区)
Joan-ji Temple
城安寺 城安寺 
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 城安寺(じょうあんじ)は、号を東輝山という。幕末、御陵衛士・伊東甲子太郎らが当初入った寺だった。
 黒谷浄土宗、本尊は阿弥陀如来。 
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 僧・暦央の開基により、当初は伏見城内に建立されたという。
 江戸時代、1621年、伏見町に移る。
 1629年、現在地に移る。
 1867年、3月20日(旧暦)、御陵衛士・伊東甲子太郎らは当初、城安寺に入る。その後、すぐに善立寺に移る。さらに月真寺に屯所を設けた。
◆本尊 本尊の阿弥陀如来像は恵心僧都(942-1017)作という。
◆伊東甲子太郎 江戸時代後期の御陵衛士(高台寺党)盟主・伊東甲子太郎(いとう-きねたろう/かしたろう、1835-1867)。名は武明、通称は大蔵、摂津、号は東山、変名は宇田兵衛。常陸(茨城県)生まれ。父・志筑(しづく)藩士・鈴木忠明の長男、母・こよ。水戸藩士・金子健四郎に神道無念流剣術、水戸学を学び勤王思想に傾倒する。江戸の旗本・伊東精一/誠一郎に北辰一刀流を学び、跡目を継ぎ婿養子になる。1864年、藤堂平助の仲介で新撰組に加盟し、参謀・文学師範になる。その後分離し、1867年、戒光寺の湛然長老の肝煎りにより御陵衛士が組織された。勤皇派の伊東ら15人が新撰組を脱退し御陵衛士に参加した。山陵奉行・戸田大和守忠至の配下に入る。伊東は御陵衛士(高台寺党)盟主になり、薩摩と連携した。1867年、新撰組により七条油小路で粛清され、斬殺された。(油小路事件)。33歳。
 国学・歌道を好み剣術に長けた。
 供養塔が本光寺(下京区)に立つ。墓は戒光寺(東山区)にある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都市の地名』、『新選組と幕末の京都』 、ウェブサイト「コトバンク」


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城安寺 〒605-0013 京都市東山区南西海子町424,三条通東大路西入ル   075-541-2629
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