西光院 (京都市西京区)
Saiko-in Temple
西光院 西光院 
50音索引,Japanese alphabetical order  Home 50音索引,Japanese alphabetical order  Home









本堂



本堂





御詠歌
 西光院(さいこういん)門前に「西行法師旧跡」の碑が立つ。僧で歌人の西行ゆかりの寺という。
 浄土宗西山禅林寺派、本尊は二体の阿弥陀如来を安置する。 
 京都洛西観音霊場(洛西三十三所観音霊場)第29番札所。
◆歴史年表 創建、変遷の不明。  
 近代、1908年、西光寺と西光庵の二寺が合併し西光院に改めた。本尊は両寺の2体の阿弥陀如来を安置したことから山号は二尊山とされた。
 現代、1978年、廃れていた洛西三十三所観音霊場めぐりが再興される。
 2006年、櫻元庵が建てられる。
 2016年、本堂が改修された。◆西行 平安時代後期の真言宗の僧・西行(さいぎょう、1118-1190)。佐藤義清(のりきよ、憲清、則清、範清)、別号は大宝房、大本房、大法房、法名は円位。秀郷流武家藤原氏の出自。父は検非違使・左衛門尉佐藤康清。母は監物(けんもつ)源清経の娘。16歳頃、徳大寺家に仕え、1135年、兵衛尉(左兵衛府の第三等官)に任ぜられる。1137年、鳥羽院(第74代)の下北面(げほくめん)の武士になる。1140年、妻子を捨てて出家し、円位、後に西行とも称した。鞍馬山、1141年、東山の双林寺、長楽寺などに草庵を結んだ。1144年頃/1147年、奥羽、1149年頃、高野山に庵を結ぶ。1156年、鳥羽法皇の葬送に参り、保元の乱に敗れ仁和寺に籠った崇徳上皇に参じた。1168年/1167年/仁安年間(1166-1169)、讃岐の崇徳院の墓陵参拝、弘法大師の遺跡巡礼を目的とし、中四国を巡る。1172年、平清盛主催の千僧供養に参加した。その後、高野山で聖生活に入り上人になる。1177年、高野山の蓮華乗院の移築に関わる。治承年間(1177-1181)、伊勢国二見浦に移る。神祇信仰を深め、内宮祠官荒木田氏と交わった。1186年、俊乗房重源に委嘱され、東大寺再建のため平泉での砂金勧進を奥州藤原氏に行う。この2度目の奥州、伊勢国の漂泊で多くの歌を詠む。途中、鎌倉で源頼朝に初対面する。1189年、河内国・弘川寺(大阪府河南町)に庵を結ぶ。弘川寺で亡くなる。73歳。墓は弘川寺にある。
 和歌に秀でた。平清盛、平忠盛、平時忠、待賢門院、崇徳院、徳大寺実能らと交わる。大原三寂(寂念、寂然[藤原為業])、寂超)、藤原俊成、待賢門院堀河、上西門院兵衛と親しくした。家集に『山家集』、勅撰集の『千載集』、『新古今和歌集』には94首が入集。恋歌が多く鳥羽上皇皇后との禁断の恋に破れたともいう。桜を愛で多くの歌を残した。故実に通じ、武芸、蹴鞠も秀でた。
◆仏像 本尊は旧西光寺と旧西光庵の2体の阿弥陀如来を安置する。
 札所本尊は左手で子どもを抱いた聖観音で、子育て観音と呼ばれている。本尊の右、厨子内に安置する。
◆櫻元庵 かつて本堂北西に御堂があり、西行の木像が安置されていたという。西行にまつわる庵跡ともいわれる。その後、礎石のみが残された。2006年、櫻元庵が新たに建てられた。
◆桜 境内に西行桜の古木がある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『日本の名僧』、『京都御朱印を求めて歩く札所めぐりガイド』、『洛西三十三所観音霊 場』、ウェブサイト「コトバンク」

 
関連・周辺蔵泉寺  周辺  関連    

櫻元のお釈迦様

「南無阿弥陀仏十方衆生」の碑

松尾山、境内西
西光院  〒616-0005 京都市西京区嵐山田町1   075-861-1986
50音索引,Japanese alphabetical order  Home  50音索引,Japanese alphabetical order  Home 
  © 2006- Kyotofukoh,京都風光