四条坊門小路跡 (京都市中京区)
Ruins of Heiankyu-Shijo-bomonkoji(alley)
四条坊門小路跡  四条坊門小路跡
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「四條坊門小路跡」の石標


石標頂部
 阪急大宮駅の北西、大宮通沿い西側に建つ住宅公団「壬生坊城団地」の入口脇に、「四條坊門小路跡(しじょう-ぼうもんこうじ-あと)」の黒い石標がある。 
 平安時代、この付近は平安京の左京四条一坊四町にあたる。東西の通りだった四条坊門小路が通じていた。
◆歴史年表 平安時代、この付近には、平安京の東西の通、四条坊門小路が通じていた。三条大路と四条大路の中間に位置し、現在の蛸薬師通に重なる。
 現代、1974年、市電壬生車庫跡地での平安調査会による発掘調査で、平安時代-鎌倉時代の小路跡(側溝)、井戸などの遺構が見つかる。
 1976年、京都市により石標が立てられた。
◆四条坊門小路 四条坊門小路は、平安京の左京四条一坊四町にあたる。小路は、平安京域を東西に走る道路だった。道幅は4丈(12m)あった。
 三条大路と四条大路の中間にあり、東は木屋町通中京区樵町、西は右京区西院春日町間をいう。東西の通りとして、南に錦小路、北に六角小路が通った。現在の蛸薬師(たこやくし)通にほぼ該当した。
◆遺跡 四条坊門小路は1974年以降の平安調査会の発掘調査により、現在の蛸薬師通の延長線上に小路跡(側溝)が見つかった。道幅は4丈(12m)あり、平安時代-鎌倉時代のものだった。
 平安時代前期・中期の井戸、平安時代中期-後期の建物群の遺構が見つかった。
 平安時代前期(9世紀)の井戸からは、珍しい立体的な人形(14.5㎝)も出土した。木製の人形には顔が描かれ、胸に「秋野方」と墨書きされていた。
 平安時代中期の井戸より見つかった須恵器鉢には、「寛治五年(1091年)」と墨書があり貴重という。
 ◈その後の試掘調査で、平安時代前期-鎌倉時代の四条坊門小路南側溝、路面遺構が見つかった。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 ウェブサイト「京都のいしぶみデータベース-京都市」、『日本の古代遺跡 28 京都Ⅱ』、『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」



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四条坊門小路跡 〒604-8805 京都市中京区壬生坊城町 壬生坊城団地

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