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西光庵 (京都市右京区) Saiko-an Temple |
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西光庵 | 西光庵 |
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![]() ![]() ![]() ![]() 「向阿上人終焉地」碑 ![]() ![]() 本堂 ![]() 「右 向阿上人御往生之地 西光庵」道標 |
双ヶ丘の東に西光庵(さいこう-あん)はある。山号を華開山という。向阿(こうあ)ゆかりの寺として知られている。 浄土宗知恩院派、本尊は阿弥陀、釈迦の二尊を安置する。 ◆歴史年表 鎌倉時代、14世紀(1301-1400)前半、向阿がこの地、池上(いけがみ)に庵を結んだという。 南北朝時代、1345年、6月、向阿はこの地で亡くなり、境内に埋葬される。 ◆向阿 鎌倉時代末期-南北朝時代の浄土宗の僧・向阿(こうあ、1265-1345)。男性。甲斐の生まれた。号は是心(ぜしん)。諱は浄華房証賢(じょうかぼう しょうけん)。当初は園城寺の天台僧だった。法然(1133 -1212)に帰依し、鎮西義一条流の祖・礼阿(らいあ)に師事した。浄土教念仏の布教をする。当庵西方に、不退念仏を行う白蓮社(びゃくれんしゃ)を設けたという。著書の『帰命本願鈔』など3部7冊は、浄土宗布教の基本書にされた。 西光庵で亡くなり、本堂東に墓(五輪塔)があるという。80歳。 ◆本尊 ◈本堂に、阿弥陀、釈迦二尊を安置している。 ◈向阿上人像も安置する。 ◆墓 ◈当庵の本堂東に、江戸時代の向阿の墓(五輪石塔)が立つ。 ◈浄土宗の僧・等煕 (とうき、1396-1462)の墓がある。 ◆白蓮社 境内の西、双子ヶ丘の東麓に向阿が念仏結社の白蓮社(びゃくれんしゃ)を祀った。向阿はここで不退念仏を修した。現在は、史跡などはない。 白蓮とは、中国の慧遠(えおん、334-416)の白蓮社(びゃくれんしゃ)に因んでいる。402年、東晋の僧・慧遠は、廬山(ろざん)に東林寺を創建した。同志123人とともに念仏結社「白蓮社」を組織する。阿弥陀浄土への往生を誓願し、劉遺民(りゅう いみん)が願文を作った。寺の傍らの池に、白蓮を植えたので名付けられたという。 宋代以後、各地に念仏結社「集蓮社」が組織された。 *非公開 *参考文献・資料 『昭和京都名所図会 4 洛西』、『京都大事典』、『京都の寺社505を歩く 下』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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