因性寺 (京都府宇治市)
Insho-ji Temple
因性寺   因性寺 
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本堂


本堂

 宇治の谷あいの里、志津川(しづかわ)の高台に因性寺(いんしょうじ)はある。山号、院号は旭輝山真月院という。「来迎仏の寺」として知られる。
 浄土宗、本尊は阿弥陀如来像。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 槙嶋の清澄寺の末寺だったという。この地は、三室戸寺、園城寺、興福寺、平等院などが分領する地域だったという。 
 安土・桃山時代、1573年、織田信長は、槙嶋城に将軍・足利義昭を攻めた。この際に、三室戸寺の衆僧は義昭勢に味方したため、信長は堂塔を焼き払う。この時、寺も法難に遭う。
 1577年、僧・栄伝により浄土宗に改められ中興される。同所の念佛寺を廃して合併した。
 江戸時代、1832年、焼失した。
 1833年、再建される。
 近代、1868年以前、志津川の地の3寺の禅寺を廃し、一寺は、槙嶋村の浄土宗・念仏寺に合併したともいう。
◆仏像・木像・石像 本堂安置の本尊・「阿弥陀如来立像」は、平安時代-鎌倉時代初期作という。仏師は不明という。都の仏師の作によるともいう。周囲に二十五菩薩を配置し、来迎図ともいう。3尺5寸(1.06m)。
 「薬師如来坐像」は、薬師堂に安置されている。逸話がある。鎌倉時代、1194年、東の空に光明あり、夜を昼のように照らし続けた。村人はその光源を求めて山中に入る。一本の老松の根元に、光り輝く薬師如来が出現していた。人々は霊仏として、浄財を募り村の東方に一宇を建てて仏像を安置した。仏像にはさまざまな奇端があり、次第に参拝者も増え、堂も大きく改められていった。
 江戸時代、1831年、村人4、5人が同時に同じ夢を見たという。夢告に薬師如来が現れ、信心深い人々に対して、以後、その難病、疫病を除き、安産守護も約束したという。人々は、境内に十分の一の仮堂を建て、薬師如来像を安置したという。江戸時代中期には、京都より講を組んで参拝者が訪れていたという。
 ほかに、観音菩薩像、勢至菩薩像、善導大師像、法然上人像、涅槃図、大日如来像 薬師如来石像、弘法大師坐像が安置されている。
◆建築
 本堂、薬師堂、地蔵堂が建つ。
◆株座 かつて十津川村には、「十老」「十人衆」という因性寺に属する株座があり、村内を取り仕切っていた。
 古くより平氏十族の子孫が就いたという。この地は、平家の落武者が隠れ潜んだ地とされた。ただ、確証はない。
◆紅梅 境内に「宇治名木百選」に選ばれた紅梅の古木がある。江戸時代、天保年間(1830-1844)の焼失に伴い、檀家の家で育てられていたものを移したという。高さ5m、幹周り1.24cm、樹齢200年。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 当寺縁起、『京都府宇治郡誌』


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本堂よりの眺め

鎮守社

紅梅
「月影の いたらぬ里は なけれとも なかむる人の こころにそすむ」法然、「月影が届かない人里などないのだが、月を眺める人の心の中にこそ月影は存在している。」

地蔵尊

地蔵尊
因性寺 〒611-0015 京都府宇治市志津川北組24  0774-23-7670
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