北野廃寺跡 (京都市北区)
The ruins of Kitano-haiji Temple
北野廃寺跡 北野廃寺跡
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【参照】北野白梅町交差点東、北側にある「北野廃寺跡」の石標
 北野白梅町の交差点に、「北野廃寺跡」の小さな石標が立てられている。北野廃寺は、飛鳥時代に創建されたといわれ、京都最古の寺とされ、かつては一帯に広大な寺域を有していた。蜂岡寺(本広隆寺)の候補地とみられている。
◆歴史年表 創建の詳細は不明。
 飛鳥時代、蜂岡寺(本広隆寺)は、秦河勝の創建により、厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子)から贈られた仏像を安置した。後に、 太秦に遷された。
 奈良時代、796年、「野寺」は七大寺と野寺に新銭を奉納したと記されている。(『日本後記』、同年条) 
 平安時代初期、820年、野寺(常住寺)の名がある。(『日本後記』)
 9世紀後半、大伽藍(塔、金堂、講堂、鐘楼、経蔵、歩廊、中門、西南別院)が建ち並んでいた。
 884年、野寺は焼失している。
 室町時代、野寺は廃寺になる。
 近代、1936年、市電西大路線敷設に伴い、最初の発掘調査が行われる。大規模な瓦包含層が見つかる。
 現代、1958年、発掘調査が行われ、大量の瓦などが検出される。
 1965年、瓦積基壇が発掘される。
 1974年、1975年、溝状遺構が発掘される。
 1977年、平安時代前期の「鵤室(いかるがむろ)」と墨書された灰釉陶器が検出される。
 1979年、平安時代前期(9世紀)の「野寺」と墨書された土師器が見つかる。
◆北野廃寺 1936年の発掘調査により、北野白梅町交差点の北、20m、50m地点で瓦の堆積層(飛鳥時代-平安時代)が検出され、京都市内最古の寺院跡とみられている。
 その後の調査により、交差点を中心として225m四方の寺域があったと みられ、中心には瓦積基壇も見つかっている。講堂とみられる建物は、東西4間、南北2間以上の規模があったと推定された。また、南西に飛鳥時代-平安時代の窯窯4基、平安時代の平窯2基も発掘されている。
 寺名については野寺(常住寺)とも、蜂岡寺(本広隆寺)ともいわれ、現在も確定していない。このため北野廃寺と呼ばれている。野寺は、平安時代初期に存在 したとみられ、884年に焼失、復興後、室町時代に廃寺になった。蜂岡寺は、飛鳥時代、秦河勝の創建により、厩戸王(うまやどのおう、聖徳太子)から贈られた仏像を安置した。後に、 太秦に遷された。
 その後の調査により、1958年に飛鳥時代の十葉素弁蓮華文軒丸瓦が発見された。1963年の岩倉の瓦窯(左京区岩倉幡枝)の発掘により、ここで創建時の瓦が焼かれていたことが確認された。1977年、北野白梅町で平安時代時代の「鵤室(いかるがむろ)」と墨書された灰釉陶器も検出され、厩戸王(聖徳太子)に関わる蜂岡寺跡の可能性も高まった。また、1979年に発掘された9世紀の土師器には「野寺」と墨書され、野寺との関わりも否定されていない。
 なお、近年の考古学的な調査結果によると、広隆寺は、厩戸王(聖徳太子)時代より現在地を離れていないことが確実視されている。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『飛鳥白鳳の甍 京都の古代寺院』『日本の古代遺跡28 京都Ⅱ』『京の古代社寺 京都の式内社と古代寺院』『京都・山城寺院神社大事典』『まなびすと vol.31』


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 北野廃寺跡 京都市北区北野下白梅町周辺、北野白梅町交差点東北 
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