単伝庵 (京都府八幡市) 
Tanden-an Temple
単伝庵 単伝庵
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大黒堂



大黒堂


大黒堂








地蔵堂



地蔵尊



鎮守社



鎮守社



庭園



庭園




 八幡市の単伝庵(たんでん-あん)は、「らくがき寺」とも呼ばれている。山号は直指山(じきし-ざん)という。
 臨済宗妙心寺派。本尊は五大釈迦牟尼仏、観世音菩薩ともいう。 
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 かつて現在地の南西、神原にあったという。一時廃絶し、男山48坊の一つ、法童坊の預かりになったともいう。
 江戸時代前期、単伝士印が開基ともいう。
 1711年、臨済宗妙心寺派の僧が創建したともいう。
 1721年、瑞応が再建し、臨済宗に改め中興の祖になる。以来、江戸幕府より4石2斗7升の禄を付加された。
 1854年、本堂は地震で倒壊する。
 1868年頃、鳥羽・伏見の戦いで焼失したという。
 その後、現在地に再建された。
 現代、1950年代、荒廃した。
 1957年、現在の大黒堂が建立される。
◆単伝 士印 安土・桃山時代-江戸時代前期の臨済宗の僧・単伝 士印(たんでん-しいん、?-?)。詳細不明。男性。大光普照禅師。南化玄興の法嗣。春日局の帰依を受ける。1597年、智勝院を開山した。1627年、紫衣事件では妙心寺硬派に属し、1629年、幕府に抗議したため出羽由利郡本荘藩・泉流寺に配流された。
◆瑞応 江戸時代中期の臨済宗の僧・瑞応(?-?)。詳細不明。瑞応豊後国臼杵の月桂寺7世。1721年、単伝庵を再建した。中興の祖とされる。
◆大黒天 大黒堂安置の大黒天は、「走り大黒天」と呼ばれている。今にも動き出しそうな姿をしていることに因む。
 南北朝時代、楠木正成(1294?-1336)が石清水八幡宮改修の際に、武運長久を祈願し寄進したという。楠木の株の残りから刻まれたという。
◆大黒堂 現代、1957年に大黒天を安置するために寄進を募り、大黒堂を安置した。当時の住持が、さまざまな援助を受けた恩返しとして、大黒天に人々の願い事を見てもらうため、白壁に願い事を書き入れ祈願することができるようにした。以来、「らくがき寺」とも呼ばれるようになる。
 毎年大晦日に、白壁は塗り替えられている。年明けすぐに一筆入る。
◆修行体験 らくがき寺親子坐禅会(毎第4土曜日、9:00-12:00、休会は8月・12月)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都大事典』 、ウェブサイト「コトバンク」


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単伝庵 〒614-8013 京都府八幡市八幡吉野垣内33   075-981-2307   
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