玄忠寺 (京都市伏見区) 
Genchu-ji Temple
玄忠寺  玄忠寺
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「伏見義民小林勘次之碑」
 玄忠寺(げんちゅうじ)は、山号を赤壁山という。
 浄土宗、本尊は阿弥陀如来。 
◆歴史年表 江戸時代、寛永年間(1624-1644)、当誉空心の開山による。
 1753年、伏見区鍛冶屋町より現在地に移る。
◆小林勘次 江戸時代の商人・小林勘次(?-1618)。伏見の薪炭商。元和年間(1615-1624)淀川船の通行料が値上げされた際に、町民の困窮を見かね幕府に直訴、値下げが命じられた。命を記した朱印状を江戸より持ち帰る途中、東海道鞠子宿で急死した。勘次は死を予期し、朱印状は魚の腹に入れ、別人により伏見へ持ち帰らせた。このことにより通行料は旧に復したという。(碑文より)。暗殺されたともいう。京都・玄忠寺境内北西隅に墓がある。
◆西川忠太郎 江戸時代後期-近代の教師・西川忠太郎(生没年不詳)。東京生まれ。1888年、札幌農学校本科卒。農学士。1893年-1897年、松山中学(愛媛県尋常中学校)首席教諭。英語を教えた。墓は京都・玄忠寺にある。
 常にえび茶色の服を着ており、小説家・夏目漱石の『坊ちゃん』に登場する「赤シャツ」のモデルとされる。漱石は1895年より1年間、松山中学に赴任し、西川は同僚教師だった。ただ、「赤シャツ」のモデル候補として、当時の教頭・横地石太郎など複数人の名が挙げられている。
◆墓 伏見義民・小林勘次の墓とその顕彰碑「伏見義民小林勘次碑」(1890年建立)がある。
 夏目漱石『坊ちゃん』に登場する赤シャツのモデルの一人とされる松山中学(愛媛県尋常中学校)教諭・西川忠太郎の墓がある。


*非公開
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都大事典』


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本堂

鎮守社、稲荷社?

「伏見義民小林勘次碑」

「農学学士 西川忠太郎墓」
 玄忠寺 〒612-8073 京都市伏見区下板橋町575  075-601-1809 
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