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西福寺・綜芸種智院跡 (京都市南区)
Saifuku-ji Temple
西福寺・綜芸種智院跡 西福寺・綜芸種智院跡
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「綜芸種智院跡」石標



「安産石薬師如来」碑には、「弘法大師御自作」と記される。


安産石薬師如来
 西福寺(さいふくじ)は、安産石薬師如来(あんざんいしやくしにょらい)とも呼ばれる。門前に「綜芸種智院(しゅげい しゅちいん)跡」の石標、「安産石薬師如来」碑が立つ。 
 浄土宗。
◆歴史年表 創建の詳細、変遷は不明。
 平安時代、828年、空海はこの地、公卿・藤原三守(ふじわら の ただもり/みもり)の九条邸(南区西九条)に、私学、綜芸種智院跡を創設したという。  
 835年、空海が亡くなる。
 845年、綜芸種智院は廃絶した。
 近代、1877年、西福寺の名がある。(『京都府地誌』)
◆空海 平安時代の真言宗の開祖・空海(くうかい、774-835)。弘法大師。讃岐国に生まれた。父は豪族の佐伯田公(義通)、母は阿刀氏。788年、15歳で上京し、母方の叔父・阿刀大足に師事し儒学を学ぶ。791年、18歳で大学明経科に入るが、中途 で退学し私渡僧(しどそう)として山岳修行を始め四国の大滝岳や室戸崎などで山林修行した。797年、『聾瞽指帰(ろうこしいき)』を著す。798年、槙尾山 寺で沙弥となり、教海と称する。804年、東大寺戒壇院で具足戒を受ける。遣唐使留学僧として唐へ渡り、805年、長安・青竜寺の恵果(けいか)により両界、 伝法阿闍梨の灌頂を受ける。806年、当初の20年の義務期間を2年に短縮して帰国、多くの経典、密教法具などを持ち帰る。入京できず大宰府・観音寺に住し た。809年、入京を許される。810年、高雄山寺(神護寺)を経て、811年、乙訓寺に移り、約1年間任に当たった。別当になる。812年、乙訓寺を訪れた天台 宗開祖・最澄は、空海と会っている。その後、空海は高雄山で最澄らに金剛界結界灌頂を行った。後、二人は決裂し、断絶する。813年、東大寺別当、819年頃/818年、高野山を開く。822年、東大寺に灌頂道場(真言院)を開く。823年、東寺を真言密教の道場にした。824年、高雄山寺を神護寺と改名する。神泉 苑で祈雨の修法を行う。827年、大僧都となる。828年、綜芸種智院を創立した。832年、高野山で万灯会、834年正月、宮中中務省で後七日御修法を営む。 830年、『秘密曼荼羅十住心論』を著す。高野山で亡くなり東峰に葬られた。
 空海は、中国から真言密教をもたらし、日本天台宗の開祖・最澄(伝教大師)とともに、奈良仏教から平安仏教への礎を築いた。空海による真言密教の拠点 は、東寺のほかに高野山、宮中の真言院の三寺ある。空海の真言密教の神髄は、大日如来の教えに従い、あらゆる存在、性質、思考は、宇宙の絶対者である毘盧 遮那仏が姿を変えたものであるとした。第52代・嵯峨天皇、橘逸勢と共に三筆のひとりとして数えられている。東寺境内に日本最初の私立学校「綜芸種智院」 も創立した。唐で学んだ土木技術により、各所で灌漑、土木工事などを行い、祈雨の伝承も残っている。
◆藤原三守 平安時代初期の公卿・藤原三守(ふじわら の ただもり/みもり、785-840)。南家藤原真作(まつくり)の5男。母は御井氏。第52代・嵯峨天皇に仕え重用される。809年、従五位下叙され、右近衛少将に任じられる。811年、蔵人頭、814年、従四位下、816年、参議に任ぜられ公卿に列す。821年、従三位・権中納言。823年、中納言、828年、直接大納言。830年、『弘仁格式』編じた。833年、従二位、838年、右大臣に昇る。没後、従一位が追贈された。
 難航していた最澄の大乗戒壇設立に尽力した一人とされる。空海に私邸を譲り、空海は綜芸種智院を創設した。
◆綜芸種智院跡 この地は、綜芸種智院(しゅげいしゅちいん/しゅげいすちいん)跡とされる。詳細は不明。
 綜芸種智院とは、「大日教」「大日般若教」中の「綜芸の芸を兼ね、一切の種智を用い、一切の法を知るのみ」に由来するという。各種学芸を学ぶことで、大日如来の仏智を開顕するという意味があった。
 平安時代、828年、空海は、公卿・藤原三守(ふじわら の ただもり/みもり)の左京九条邸(南区西九条蔵王町)を寄進され、私学を創設した。東寺の東近くにあり、2町の敷地を有し、5棟の建物があったという。当初は「三教院」とも呼ばれ、儒教、仏教、道教の諸学を学んだ。僧俗共学であり、身分により、大学、国学に入学を許されなかった子弟のための教育機関になる。内典(仏教)、外典(儒書)の講義があった。828年、空海筆による制規「綜芸種智院式」が定められる。
 835年に空海、840年に三守が相次いで亡くなる。空海弟子・実恵らは、綜芸種智院を東寺の伝法院に合併させ、院は廃絶した。845年、院の建物を売却し、東寺領大山荘(丹波国多紀郡)となる。
 中世(鎌倉時代-室町時代)、長見(ちょうけん)寺がその後身になったともいう。安土・桃山時代、寺は、豊臣秀吉のお土居築造により、西九条(西九条蔵王町、春日町)に移転したともいう。(「山城名勝志」)
 また、旧地は、伏見稲荷大社の古旅所、稲荷上中両旅所ともいう。八条坊門猪熊(下京区)にあったともいう。(「山城名跡巡行志」「山城名勝志」「百錬抄」)
 綜芸種智院の伝統を継承する種智院大学(伏見区)がある。
◆安産薬師如来 北の御堂に、「安産薬師如来(あんざんやくしにょらい)」が安置されている。空海自作という。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 案内板の縁起、『京都市の地名』『平安の都』『京都大事典』『京都事典』『続・京都史跡事典』


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