三栖神社 (京都市伏見区) 
Misu-jinja Shrine
三栖神社 三栖神社 
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 旧下三栖村の産土神である三栖神社(みす-じんじゃ)は東面して建つ。天武天皇社(てんむ-てんのう-しゃ)ともいう。
 祭神は第40代・天武天皇、伊弉諾尊(いなざぎのみこと)、第15代・応神天皇(おうじんてんのう)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀る。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 飛鳥時代、672年、壬申の乱の際に、大海人(おおあまのこうし)皇子(後の天武天皇)は大津行幸の途中に三栖を通った。村人は炬火を燈し、夜道を照らしたという。
 その後、三栖神社が建立され、現在の金井戸神社(伏見区三栖向町新中町)は三栖神社御旅所になる。
 現代、1996年、「三栖の炬火祭」は、京都市の無形民俗文化財に指定された。
◆天武天皇 飛鳥時代の第40代・天武天皇(てんむ-てんのう、?-686)。第34代・舒明(じょめい)天皇皇子。母は宝皇女(後の第35代・皇極・第37代・斉明天皇)。皇后・うの野讃良(うののさらら)皇女は、後に第41代・持統天皇になった。第38代・天智(てんじ)天皇の同母弟で、天智天皇の子・大友皇子(第39代・弘文天皇)と皇位を争う。672年、この壬申の乱に勝利した。673年、飛鳥の浄御原(きよみはらの)宮で即位し、天皇中心の政治確立をめざした。国家神道の確立、仏教を保護も進めた。最初に天皇を称号とし、日本を国号としたともいう。別名は大海人皇子など。
 672年、壬申の乱の際に、大海人皇子の軍は、この地を通り瀬田に抜け、近江朝廷の大友皇子の軍と戦ったともいう。
◆境外神社 境外社として、当地の東方の金井戸神社(伏見区三栖向町)は当社の御旅所になっている。
◆樹木 イチョウ(京都市指定保存樹)の大木がある。北の雄株(受講2m)は、幹が途中から4本に幹分かれしている。南に雌株がある。
◆遺跡 境内の池は、濠跡といわれ、下三栖城跡の遺構という。北側の集落が一段高い高台にある。
◆祭礼 炬火祭(秋季大祭、三栖祭、松明祭)(10月中旬、10月16日に近い日曜日)が行われる。 
 大海人皇子(天武天皇)にまつわる伝承に基づき、当日は、葦で作られた巨大な松明の炬火(きょか)が担がれる。長さ5m-6m、直径1.2m、重さ800㎏-1t)ある。
 当日の9時頃、炬火は氏子地区を巡行し、御旅所(金井戸神社)でお祓いを受ける。19時頃、三栖会館で三栖神社からの神輿と合流し、20時に京阪中書島駅付近で炬火に点火され、剣鉾が先導し竹田街道を京橋まで巡行する。
 祭りは戦後一時途絶え、1989年より再興された。剣鉾5基は、かつて巡行に供奉し「剣の見送り」と呼ばれていた。その後、祭りが途絶えたため、2010年までは神社に飾られていた。2011年以降は再び巡行に加わっている。
 1996年に「三栖の炬火祭」として、京都市の無形民俗文化財に指定された。
◆年間行事 炬火祭(三栖祭、松明祭)(10月中旬、10月16日に近い日曜日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献・資料 『京都市の地名』、『京都・山城寺院神社大事典』、『京都大事典』 、『剣鉾まつり』、ウェブサイト「コトバンク」   


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