大統院 〔建仁寺〕 (京都市東山区)
Daito-in Temple
大統院 大統院 
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本堂



方丈前庭園(南庭)



方丈前庭園(南庭)



北庭



西庭



五畝(ごほ)画伯之碑


【参照】建仁寺境内の参道
 建仁寺境内の南東に、塔頭の大統院(だいとういん)はある。 
 臨済宗建仁寺の塔頭(別格地)、本尊は聖観音。
◆歴史年表 南北朝時代、建仁寺夢窓派の43代・青山慈永(せいざん-じえい、1302-1369)により開かれた。
 室町時代、1536年、比叡山延暦寺の衆徒が、京都の日蓮宗21寺を襲った天文法華の乱により焼失した。
 江戸時代、古澗慈稽(こかん-じけい、1544-1633)の時、長谷川守尚(大統院殿虎峯宗降居士)の発願により再興が始まる。
 1637年、九巌中達の時、長谷川守尚の子・正尚が帰依し再建を完成させた。その頃、儒学者・林羅山(1583-1657)が一時寓居している。
 近代、明治期(1868-1912)、此山妙在(しざん-みょうざい)の塔頭・如是院を合併する。
 1924年、表門、唐門を除いて焼失した。
 1930年、本堂が再建されている。
 現代、1955年、現在の寺観になった。
◆青山慈永 鎌倉時代後期-南北朝時代の臨済宗の僧・青山慈永(せいざん-じえい、1302-1369)。俗姓は紀、法名は士永、諡号は仏観禅師。紀伊(和歌山県)に生まれた。東福寺の南山士雲、天竜寺の夢窓疎石に師事し、その法嗣になる。1363年、建仁寺43世、鎌倉・建長寺の住持になる。68歳。
 古澗慈稽(こかん-じけい)、日政(にっせい)などの弟子を育てた。
◆古澗慈稽 室町時代後期-江戸時代前期の臨済宗の僧・古澗慈稽(こかん-じけい、1544-1633)。信濃(長野県)の生まれ。建仁寺・大統院の奎文慈瑄の法を嗣ぐ。博多・聖福寺住持、1605年、建仁寺294世、1608年、南禅寺の住持を歴任した。90歳。
 漢詩人で聯句に優れ、建仁寺・大統院で林羅山にも教えた。
◆林羅山 安土・桃山時代-江戸時代前期の儒学者・林羅山(はやし-らざん、1583-1657)。名は信勝、字は子信、通称は又三郎、別号は道春、羅浮子、浮山、羅洞など。京都生まれ。父は加賀郷士末裔で浪人、幼くして養子に出される。1595年、建仁寺に入り、13歳で大統庵・古澗慈稽、14歳で十如院・英甫永雄(雄長老)に師事した。1597年、出家を拒否し家に戻る。1604年、角倉素庵の仲介で藤原惺窩(せいか)に儒学、朱子学を学ぶ。1605年、惺窩の推挙により二条城で徳川家康に謁見した。1606年、イエズス会日本人修道士・イルマン.ハビアンと論争し、地球方形説と天動説を主張した。1607年、家康命により剃髪し道春と称し仕える。2代将軍・秀忠に講書を行う。1614年、大坂の役に際し、方広寺鐘銘事件で家康に追従し勘文を作る。1624年、3代将軍・家光の侍講になる。1632年、幕府より与えられた地、江戸上野忍岡に私塾学問所、孔子廟などを建て、先聖殿(後の忍岡聖堂、昌平坂学問所)と称した。1635年、武家諸法度を起草した。1657年、明暦の大火により神田本邸の文庫を焼失し、落胆し4日後に急逝した。75歳。
 幕府儒官林家の祖といわれる。朱子学、儒学の官学化に貢献し、近世儒学の祖になる。幕藩体制の身分秩序を位置付ける役割を果たした。家康以来、将軍4代に仕え将軍の侍講になった。伝記・歴史の編纂、古書・古記録の採集、「諸士法度」などの法令制定、外交文書起草、典礼調査、朝鮮通信使の国書起草・応接、オランダ・シャムとの通信、教育、文化にも幅広く関与した。幕命で『寛永諸家系図伝』『本朝編年録』を編修した。
 生誕地は中京区新町通錦小路上ルとされる。場所は確定されていない。
◆九巌中達 江戸時代前期の臨済宗の僧・九巌中達(?-?)。詳細不明。建仁寺300世になる。1637年、建仁寺・大統院を再建した。
◆此山妙在 鎌倉時代後期-南北朝時代の臨済宗の僧・此山妙在(しざん-みょうざい、1296-1377)。信濃(長野県)生まれ。高峰顕日(こうほう-けんにち)の印可を受ける。元に渡る。帰国後、1356年、建仁寺38世、天竜寺、南禅寺、円覚寺の住持になり復興する。如是院を創建した。著『此山和尚語録』、詩文集『若木集』。82歳。
◆奥田頴川 江戸時代中期-後期の陶芸家・奥田頴川(おくだ-えいせん、1753-1811)。名は庸徳、通称は茂右衛門、号は陸方山。京都の生まれ。家は代々質屋を営む。30代で作陶を志し、建仁寺・清住院、大中院、霊洞院に寄寓し、清住院で開窯した。天明年間(1781-1789)、明時代の京焼最初の磁器焼成に成功する。
 京焼磁器の祖、京焼中興の祖、先駆者といわれる。中国意匠の作品が多く、赤絵、染付、呉須赤絵を得意にした。京焼に磁器を取り入れた。門下に青木木米、仁阿弥道八らがいる。
 祖先は中国頴川郡より明末-清初に渡来した頴川氏になる。陳姓の陶工の末裔という。奥田家を継ぎ頴川と称した。
◆北山安夫 現代の作庭家・北山安夫(きたやま-やすお、1949-)。京都市に生まれた。小宮山庭園創作所の小宮山博康に師事、その後独立する。高台寺、塔頭の園徳院、建仁寺ほか、全国、海外でも活躍している。
◆茶室 書院に茶室「松濤室(しょうとうしつ)」、6畳がある。
◆庭園 庭は本堂北、西、南にある。
 南庭「耕雲庭」は、2009年、現代の作庭家・北山安夫の作庭よる。命名は建仁寺派管長・小堀泰巌による。
 植栽、石組みは抑え、庭面の大部分に苔地と17個の長形の石を市松模様に配置している。
◆文化財 室町時代(1520)の建仁寺245世・雪嶺永瑾(1447-1537)自賛の狩野派筆と見られる「雪嶺永瑾像」、室町時代(15世紀)、紙本墨画「墨梅図 心田清播賛」。江戸時代(1607)、絹本著色「長谷川守尚像 古澗慈稽賛」。
 江戸時代(18-19世紀)の陶芸家・奥田頴川の「赤絵十二支四神鏡文皿」(重要美術品)。磁器の皿に、後漢時代の倣古鏡の意匠文様が赤を基調に絵付けされている。
 円山応挙(1733-1795)の真筆とされる江戸時代の「幽霊画」(1790)がある。足が描かれていない初例といわれる。応挙は、ある僧に幽霊について尋ねたという。僧は「霊には行足がない」と答えたため、足を描かなかった。「四方睨み」の手法で描かれた。もとは千本出水の玉蔵院にあり、数十年前から行方不明になっていたのが、大統院で発見されたという。
 白隠慧鶴(1685-1768)筆「筆骸骨之図」、鈴木松年筆「髑髏図」。蛤蜊から観音が出てくる様の「蛤蜊観音」、室町時代の心田清播賛「墨梅図」など。
◆障壁画 安土・桃山時代(16世紀)、海北友松筆、紙本墨画「山水図襖」8面。
◆碑 五畝(ごほ)画伯之碑が立つ。高瀬五畝(ごほ、1878-1961)は、石川県金沢生れ。本名隆麿。荒木寛畝に師事し、第2回帝展(1920)に初入選した、その後、8回入選した。


*普段は非公開、建物内は撮影禁止
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『建仁寺』、『京都の禅寺散歩』、『建仁寺 建仁寺と栄西禅師』、『旧版 古寺巡礼京都 6 建仁寺』、ウェブサイト「コトバンク」



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大統院 〒605-0811 京都市東山区小松町593,大和大路通四条下ル  075-561-7073
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