


本殿

稲荷社


エノキ |
太秦椙ヶ本町(うずまさ-すがもとちょう) の住宅地の一角に、小社の市川神社(いちかわ-じんじゃ)がある。旧市川村の産土神になる。
祭神は 速秋津日子神(はやあきつひこのかみ )、速秋津比売神(はやあきつひめのかみ) の男女一対の2神を祀る。穢(けがれ)を祓い、水戸(みなと/みずと、港、水の出入りする門口)の神になる。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
年代不詳、大堰川(桂川)は度々氾濫した。渡来系の秦氏は、一帯の治水灌漑工事を手掛ける。その後、水に関係する2神が守り神として祀られたという。社は常に泥沼の中にあり、洪水時にはあたかも水の上に浮かんでいるようだったという。
平安時代、871年、山城国澄水(しみず)の神とともに、当社は従五位下の神位に叙せられた。当社は、それ以前に祀られていたとみられている。(『三代実録』)
近代、大正期(1912-1926)、ご神木の大杉が落雷により枯死した。
現代、昭和期(1926-1989)中期、現在の社殿が建てられた。
◆椙杜・ご神木 一帯には、かつて「椙杜(すがのもり)」と呼ばれる森が広がっていた。広隆寺牛祭の祭文にも「榎本 椙本」とある。
境内中央東南角には、かつて、ご神木の大杉があり、注連縄が張られていた。幹回りは大人5人が手を広げて繋いだ太さがあり、高さは30mあった。
近代、大正期(1912-1926)に落雷あり、その後、枯死している。
◆三王社 「三王社(山王社)」は、山王権現を祀る。かつて、太秦村小字大石中里にあり、その後、当社に遷され合祀された。
木島神社(右京区)の祭礼では、五社の鉾の2番になる。
◆末社 末社・稲荷社がある。
◆建築 祠の本殿、末社・稲荷社、神輿蔵、神明鳥居がある。
◆年間行事 例祭(子供神輿の渡御がある。)(10月10日前後の日曜日)。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*年間行事(拝観)などは、中止、日時・内容変更の場合があります。
*参考文献・資料 市川神社由来、案内板、『昭和京都名所図会 4 洛西』
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