岡田国神社 (木津川市) 
Okadakuni-jinja Shrine
岡田国神社  岡田国神社
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神額は「天神宮」とある。






国道24号線の東、JR奈良・関西本線の上に鉄筋コンクリート製の高架があり、鉄路と田を跨ぐ形で「参道」がつけられている。


南北の氏子詰所の間に神殿がある。


神殿(本殿、相殿)

 木津川市の岡田国神社(おかだくに じんじゃ)は、田園地帯に、天神山を背にして建てられている。
 「木津の天神さん」と親しまれ、中世以降は、木津5郷(大路村・千童子村・枝村・小寺村・南川村)の産土神として信仰された。近世までは天神社といわれていた。 
 主祭神は、生国魂命(いくくにたまのみこと)、菅原道真を祀る。神紋は梅鉢紋と橘紋になる。
◆歴史年表 創建の詳細は不明。
 飛鳥時代、654年、659年とも、生国魂尊を祀ったこと始まるともいう。(社伝)
 奈良時代、708年、第43代・元明天皇は岡田離宮に行幸している。この時、「賀茂、久仁」の二里の人々に、稲三十束を施したという。二里には、すでにそれぞれ岡田鴨神社と岡田国神社が祀られていた。
 平安時代、天神信仰の高まりにより菅原道真を合祀し、天神宮(天神社とも)といわれたともいう。
 859年、「岡田鴨神」「岡田国神」の二社は、神位、従五位上を授けられ、文献の初例となる。(「日本三代実録」)
 927年、『延喜式』に相楽郡六社のひとつとして記されている。
 938年、相殿の八幡宮が祀られている。応神天皇を祀る。
 鎌倉時代、第91代・後宇多天皇の在位中(1274-1287)に、菅原道真が祀られたともいう。
 室町時代、1567年、焼失している。
 安土・桃山時代、1582年、本能寺の変で、身の危険を感じた徳川家康は堺より逃れ、木津川から伊賀越えで三河に向かった。その際に、当社の関係者が木津川より伊賀まで抜ける山道の案内をしたという。
 江戸時代、1604年、家康の命により、京都所司代・板倉勝重により山林が贈られる。
 1697年、勘定奉行・松平重良により社領の下付が続いた。
 正徳年間(1711-1716)、神殿は現在の加茂町付近より流されてきたとの伝承がある。 
 安永年間(1772-1781)、神殿は建立されたともいう。
 江戸時代まで、天神宮、または木津駅惣社天神社といわれていたという。
 近代、1878年、岡田国神社と改称されている。『延喜式』式内社の岡田国神社に比定される。
 現代、1974年、日本住宅公団による木津ニュータウンの建設に伴い、社地は売却された。
 1983年、旧社殿を残したままで、南の隣接地の山の中腹に現在の新社殿が建てられた。
◆賀茂氏 菅原道真を祭神とする以前、一説には、別雷神(わけいかづちのかみ)を祀っていたともいわれている。(『御霊神社由緒書』)。
 元宮は、春日社であり、祭神筆頭に、別雷神が挙げられており、賀茂(鴨)氏との関わりがあるとの見方もある。
◆建築 現代の社殿の下(北)に隣接して、旧社殿、拝殿、能舞台、氏子詰所(仮屋、宮座)がそのまま保存されている。京都府登録文化財(1988)に指定されている。
 舞台を中心として、社殿が配置された相楽郡地域に伝わる形態は、室町時代の惣(そう)の社の姿を残している。現存するものとしては数少ない例という。惣は惣村ともいわれ、百姓の自治的・地縁的な組織、村落形態をいう。畿内に生まれ、最盛期を迎えたのは室町時代中期(15世紀)であり、次第に自治的な力を増していった。
 石垣の上に透塀(すかしべい)があり、本殿、摂社、小社が祀られている。 
 「本殿」は江戸時代、1774年に建立され、一間社春日造になる。奈良には多いものの、京都府内で、同時期、同規模の社殿建立は稀な例になる。
 広場東の「拝殿」は、江戸時代、1620年の建立による。切妻造、本瓦葺、桁行5間、梁行2間。
 能舞台を挟み、南北に「氏子詰所(仮屋)」2棟が配置されている。近代、1907年に改築された。
 「舞台」は1910年の改築で、方一間切妻造、桟瓦葺。
◆猿楽 中世、南山城は、大和文化圏(興福寺、春日大社)の強い影響を受けた。大和では、後の能に発展する猿楽4座(観世、金春、金剛、宝生)が起こり、南山城は猿楽が盛んになった。
 猿楽者は、南山城のみならず、大和でも活躍し神事猿楽を演じた。演者は、神の化身「翁」に扮し、祝福の舞いを舞った。当社に見られる「氏子詰所」は、「長床(ながとこ)」ともいわれ、宮祭りの際に、氏子代表による相談事の場、宮座として機能した。祭礼の際には、演能(猿楽、能、狂言)の観客席に変わった。
◆森 神社の森は、京都府文化財環境保全地区になっている。
◆神雄寺跡・木津城跡 境内の背後に森がある。一帯は「神雄寺(かんおでら)跡」、「馬場南遺跡」とも呼ばれている。かつての燃燈供養の儀式の場であり、木簡、三彩陶器、土師器皿などが出土している。
 境内北東の丘陵地には木津城跡の土塁、空堀などの遺構がある。
◆年間行事 例祭(布団太鼓祭といわれ、布団を乗せた太鼓台を担いで回る。市民俗に指定されている)(10月21日)。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都府の歴史散歩 下』


  関連・周辺岡田鴨神社     関連      周辺        

水屋谷社、地主神

左手(北)の氏子詰所(宮座)、右より翁座、高砂座、老栄座、末永座、天栄座、末廣座、天勢座、天明座、泉座。

右手の氏子詰所(宮座)、右より永楽座、末吉座、神楽座、住廣座、安永座、八千代座、扇座、相生座、寿老会。

隣接している旧社殿の鳥居

鳥居の台輪部分が円形

本殿

本殿

左より恵比須神社、水谷神社

左より八王子神社、天王神社、日出神社

旧社地の境内、すぐ近くに線路が通っている。

旧社地の境内中心にある能舞台

北の旧氏子詰所(宮座)

南の旧氏子詰所(宮座)

拝殿

拝殿内部

手水舎

手水鉢石、石は旧社地の手水舎のものを再利用した。江戸時代、1652年の銘がある。
 岡田国神社 〒619-0214 木津川市木津大谷105  0774-72-8200
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