



本堂

地蔵堂

鎮守社

【参照】近くに立つ「千代の古道」の石標 |
桂川の東、嵯峨野高田に福田寺(ふくでんじ)はある。山号は最勝山(さいしょうざん)という。
浄土宗西山禅林寺派、本尊は阿弥陀如来を安置する。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
江戸時代、正徳年間(1711-1716)、乗蓮社運誉(じょうれんしゃ うんよ)上人が中興したという。(寺伝)
近代、1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により、玉伝寺が合祀された。(寺伝)
1877、高福寺を合併した。(寺伝)
◆乗蓮社運誉 江戸時代の浄土宗の僧・乗蓮社運誉(じょうれんしゃ うんよ、?-1713)。詳細不明。正徳年間(1711-1716)、福田寺を中興した。
◆建築 本堂、地蔵堂、弁天堂、庫裡がある。
◆高田 高田は、北は生田(おいた)、西は罧原(ふしはら)の桂川堤防、南は梅津(うめづ)、東は太秦(うずまさ)安養寺内にあり、中央を西北より南東に有栖川が流れる。
高田の地名由来は、飛鳥時代の高句麗系の渡来氏族・高田首(たかだ/たかた の おびと、?-703)に因んでいる。首(新家<にいのみ>)は部民を統率し、この地に移り開拓したという。(『日本書紀』『太秦村誌』)。首は、672年、壬申(じんしん)の乱で、伊勢鈴鹿で大海人(おおあまの)皇子(後の第40代・天武天皇)を出迎え従った。685年、行宮造営のため信濃に遣された。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 福田寺案内板、『京都市の地名』
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