大森賀茂(加茂)神社 (京都市北区大森)
Omorikamo-jinja Shrine
大森賀茂(加茂)神社 大森賀茂(加茂)神社 
50音索引,Japanese alphabetical order Home 50音索引,Japanese alphabetical order Home







手水舎


手水舎、水盤








拝殿


本殿覆屋


本殿覆屋


本殿
 桟敷ヶ岳の南西、清滝川の源流の谷あいに、大森賀茂(加茂)神社(おおもり-かも-じんじゃ)はある。大森(東河内、西河内、中)の産土神になる。
 祭神は、賀茂皇大神(かもすめおおかみ)、彌都波能賣神(みづはのめのかみ)、瀬織津比賣神(せおつひめのかみ)、摂社・貴船神社は闇神(くらおかみのかみ)を祀る。
 式内社。平安時代、『延喜式神名式(延喜式神名帳)』(927)中「葛野郡 二十座 大十四座 小六座」の「堕川御上神社 (おちかわ-みかみ-の-じんじゃ)」に比定されている。  
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 年代不詳、かつてこの地に勢力があった小野氏が、五穀豊穣を祈願し、水神を祀ったことを始まりとするという。(社伝)。堕川御上神社といわれたという。清滝川と西野川の合流点、落合付近(現在の境内の東方、薬師峠の麓付近)に祀られていたことに因むという。
 中世(鎌倉時代-室町時代)、大森一帯が賀茂社神領になる。祭神を賀茂別雷神としたことにより、「大森賀茂(加茂)神社」に改めたという。また、「大森大明神」、「加茂ノ神社」と呼ばれた。三カ村合同で、正月3日に例祭が行われていた。(『山城名跡巡行志』)
 近世(安土・桃山時代-江戸時代)以降、現在地に遷されたという。
 江戸時代、1727年、神職・寺谷数馬は、三カ村に無断で内殿を開き、一時、神職停止になる。
 1832年、「大森賀茂大神宮」、「貴布禰大明神」の例祭は正月2-3日に行われていた。(『安楽寺縁起由来記』・「今北家文書」)
 近年、堕川御上神社に比定された。
◆堕川御上神社 現在、境内に堕川御上神社(おちかわ-みかみ-の-じんじゃ)が祀られている。かつて、堕川(おちかわ、清滝川)の上流に祀られていたという。なお、堕川の下流には堕川神社があった。
 堕川御上神社の旧鎮座地は、清滝川と西町川の合流点、落合付近(現在の境内の東方、薬師峠の麓付近、清滝川の水源地付近、弁財天社が祀られている付近)にあった。その後、現在地に遷されたという。
◆建築 本殿覆屋内に本殿、拝殿、堕川御上神社などが建つ。
◆祭礼 ◈「日待講(ひまちこう)」は、古代太陽信仰の遺制といわれている。日の出直前に行われた。物忌み、潔斎をして神の来臨を迎えた祭事だった。
 江戸時代以降は、伊勢講の影響により、伊勢神宮に参拝する形で続けられているという。
 ◈江戸時代、1832年、大森賀茂大神宮、貴布禰大明神の例祭は、正月2-3日に行われていた。
 五座(東、西、左、右、失慰 [流鏑馬])の供物があり、神輿前での童子相撲5番、神楽が催されていた。(『安楽寺縁起由来記』・「今北家文書」)
◆年間行事  歳旦祭(1月2日)、例祭(10月15日)。


*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都・山城寺院神社大事典』『日本地名大辞典 26 京都府 上巻』『昭和京都名所図会 4 洛西』『京都大事典』


関連・周辺  周辺安楽寺(北区大森)  関連     

本殿覆屋

本殿脇、「河内ノ国ノ人 久保翁顕彰碑」

不明

堕川御上神社

堕川御上神社

堕川御上神社、「元式内社 堕川御上神社」の石標

堕川御上神社、「遥拝所」の石標

覆屋

境内の森

境内を流れる小川

大森賀茂(加茂)神社 〒601-0145 京都市北区大森東町1 
50音索引,Japanese alphabetical order  Home   50音索引,Japanese alphabetical order  Home  
  © 2006- Kyotofukoh,京都風光