永福寺 (蛸薬師堂、蛸薬師、妙心寺)  (京都市中京区)
Eifuku-ji Temple
永福寺(蛸薬師) 永福寺(蛸薬師)
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右より、愛敬院(愛染明王)、不動尊(不動明王)



  新京極通に面した蛸薬師(たこやくし、蛸薬師堂)は、永福寺(えいふくじ、薬師堂永福寺)、水上薬師堂とも呼ばれた。正式には浄瑠璃山(じょうるりさん)林秀院永福寺、また、妙心寺(みょうしんじ)とも呼ばれている。蛸薬師とは本尊の俗称であり、本来は、永福寺(妙心寺)の一堂になる。山号は法性山という。
 浄土宗西山深草派、本堂に本尊・薬師如来石像(蛸薬師)を安置している。
 京都十二薬師霊場会第12番。江戸時代には、洛陽四十八願所地蔵めぐり(京都四十八願寺)の第33番札所、札所本尊は鯉地蔵。京の通称寺霊場18番、蛸薬師道寺。
 タコ・イボ取り、諸病回復、癌封じ、心身健全、厄難滅除、子授け、縮れ毛治し、医学生の学問成就などの信仰を集める。古くは、蛸を描いた小絵馬を奉納していた。
◆歴史年表 鎌倉時代、1251年、円空立信は、第89代・後深草天皇の勅願により、深草の地に堂宇を建立し、円福寺(えんぷくじ)と称したことに始まるという。
 1307年、尭空により、五条坊門猪熊(下京区)に移り、真宗院と改めたという。
 その後、室町姉小路北(室町通二条下る、中京区円福寺町)に移った。
 1441年、第102代・後花園院により勅願寺となる。
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)により焼失し、その後、荒廃した。
 永正年間(1504-1521)、賢智が中興した。
 安土・桃山時代、1591年、豊臣秀吉による都市改造により現在地に移る。円福寺の中にあり、四条坊門小路が薬師堂に突き当たることから蛸薬師通と呼ばれた。同年、天正年間(1573-1592)とも、永福寺(中京区蛸薬師町)を合併したともいう。円福寺の子院になる。
 江戸時代、寛文年間(1661-1673)、鯉地蔵は第112代・霊元天皇の命により、僧・宝山が洛外・六地蔵以外の48か寺の地蔵尊を選んだ、洛陽四十八願所の霊場のひとつになる。
 1788年、天明の大火により焼失している。
 近代、1883年、円福寺は愛知県額田郡(岡崎市)に移される。当地の岩津城主・松平信光の嫡子・親則の菩提寺である妙心寺が現在地に移され、寺号を交換した。永福寺は妙心寺の境外別堂になる。
◆円空立信 
鎌倉時代の西山深草派の祖・円空立信(1213-1284)。1226年、15歳で西山国師に師事、出家した。諸宗を修し、後に西山深草派を開いた。第89代・後深草天皇から「真宗院」の勅号を得、1248年、真宗院を建立している。
◆本尊 本尊の「薬師如来」は、かつて永福寺(ようふくじ、室町通二条下る蛸薬師町)の本尊という。秘仏とされた。だが、堂の扉がひとりでに開くことから、8年毎に開帳されるようになった。
◆永福寺 永福寺の創建にまつわる伝承がある。
 平安時代末期、1181年、室町の富者が剃髪し林秀と号した。比叡山根本中堂本尊の薬師如来を深く信仰し、長年の月参りを行っていたという。だが、老いたため、薬師如来の前での月参りも出来なくるので、薬師如来一体を与えてくれるようにと祈願した。
 その夜、夢枕に薬師如来が現れ、かつて、伝教大師(最澄)が、私の姿を石に彫り比叡山に埋めた。これを持ち帰るようにと告げた。林秀が翌日、示された所を掘ると石像が見つかる。この像を持ち帰り、六間四面の堂を建立し、永福寺(中京区蛸薬師町)と名付けたという。
◆蛸薬師 蛸薬師の呼称については、いくつかの伝承がある。
 寺がかつて二条室町(中京区蛸薬師町)にあった時、付近に水沢があり、水上薬師(みなかみやくし)、澤薬師(たくやくし)と呼ばれていたという。この澤薬師の転訛により蛸薬師になったという。(『山城名勝志』)。蛸屋の家より掘り出した唐臼に、薬師像が彫られていたからともいう。
 また、鎌倉時代、建長年間(1249-1256)初め、善光(善孝)という僧が永福寺に住していた。母が重い病いになり、寺に迎えて看病した。母は、子供の頃から好物だった蛸を食すれば治るかもしれないという。だが、僧侶の身で生魚は買いに行けない。それでも、母を思い市場に出かけて蛸を買い求めた。不審を抱いた人々が善光を門前で止め、箱の中を見せるようにと責める。善光が窮して薬師如来に祈ると、蛸の八足は八軸の経巻に変じたという。人々は合掌し、「南無薬師瑠璃光如来」と称えると、経巻は再び蛸に変わった。蛸は、門前にあった御池に入り、瑠璃光を放った。光は善光の母を照らし、病いはたちまち回復する。母は立ち上がり、涙を流して「南無薬師瑠璃光如来」と連称したという。(『京童』)。それ以来、蛸薬師堂の蛸薬師如来と称され、参道も蛸薬師通と呼ばれるようになったという。
◆地蔵 「鯉地蔵」という地蔵立像が安置されている。逸話がある。
 日頃より地蔵尊を信仰している者がおり、店の主人の使いで文箱を手に出掛けた。鴨川に差し掛かると、板橋に足を取られ大切な文箱を川に流してしまう。途方にくれていると川中より鯉が現れ、その文箱を口にくわえて届けてくれた。帰宅して地蔵尊に参ると、その全身が濡れていた。
 あの時の川中の鯉が地蔵尊だったことを知り、いよいよ信仰を篤くした。以後、鯉地蔵といわれるようになったという。
◆撫で薬師 「撫で薬師(御賓頭盧蛸)」は、左手で撫でると病平癒するという。
◆妙心寺 北奥に法性山無量寿院妙心寺がある。阿弥陀堂と呼ばれる。尾張・松平家ゆかりの寺になる。
◆年間行事 修正会(1月1日)、初薬師(1月8日)、春彼岸会(3月21日)、春大祭(4月8日)、盆施餓鬼(8月16日)、秋彼岸会(9月23日)、秋大祭(10月8日)、終薬師(12月8日)、大根炊き(12月31日)。 
 大般若会(毎月8日)、地蔵会(毎月24日)。


*年間行事は中止、内容、日時変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*建物内は撮影禁止
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都古社寺辞典』『京都府の歴史散歩 上』『京都大事典』『京都の地名検証 2』『昭和京都名所図会 5 洛中』『京都の寺社505を歩く 上』『旧版 京のお地蔵さん』『京都のご利益徹底ガイド』『京の寺 不思議見聞録』


                       

三州法性山妙心教寺の梵鐘、江戸時代、1661年、松平親正により造られた 

京極七福神

右より豊川稲荷、福地稲荷、秋葉権現
 永福寺(蛸薬師) 〒604-8046 京都市中京区東側町503,新京極通蛸薬師上る東側  075-255-3305  9:00-17:00
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