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京都市動物園慰霊塔 (京都市左京区) Kyoto City Zoo Cenotaph |
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京都市動物園慰霊塔 | 京都市動物園慰霊塔 |
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![]() 慰霊塔(萬霊塔) ![]() 慰霊塔(萬霊塔) ![]() 銘板 ![]() |
京都市動物園内ゴリラ舎の北に、亡くなったり傷付いたりした動物のための慰霊塔(いれい-とう)(萬霊塔)が立てられている。 ◆歴史年表 近代、1903年、4月1日、京都市紀念動物園が開園する。(「京都日出新聞」) 1924年、10月26日、「第一回動物慰霊祭」は、京都仏教少年総合団の主催により催された。 1932年、8月、慰霊塔(萬霊塔)が立てられる。 2004年、9月1日、京都市動物園協会により塔は改修されている。 ◆動物慰霊祭・慰霊塔 近代、1924年10月26日に、「第一回動物慰霊祭」は、京都仏教少年総合団の主催により催された。 1932年8月に、現在の「慰霊塔(萬霊塔)」が立てられる。病気・怪我・寿命を全うし亡くなった動物個体に感謝・敬意を表したものという。 現代、2001年9月1日に銘板が脇に置かれた。「いのちのたいせつさを おしえてくれてありがとう やすらかに おねむりください」と刻んである。京都府石材業協同組合・同組合石壽会の寄贈による。2004年9月1日に、塔は京都市動物園協会により改修される。 例年秋には現在も、当初の形式とは異なりつつも、動物慰霊祭が行われている。 ◆京都市動物園 近代、1903年4月1日に、当初は「京都市紀念動物園」の名称で開園する。動物は宮内省下賜だった。開園式は行われず、内貴市長・渡辺参事が来援視察している。収容動物は61種238点、敷地面積34,059㎡、入園者は6,591人だった。 1944年-1945年の太平洋戦争末期に、軍の命令により動物の一部は殺処分された。ヒグマ・ホッキョクグマ・ナマケグマ・マレーグマ・ツキノワグマ・ライオン・トラ・ヒョウなどであり、カバ・ラクダ・シマウマ・スイギュウなどは、飢え・栄養失調、暖房が出来ないため寒さにより死亡した。1940年末で収容動物209種965点、戦後の1945年9月末で72種274点に減じている。 現代、1946年4月には進駐軍により園の南側13,200㎡が接収され、1952年5月に接収解除になる。 1964年4月に「京都市動物園」に改称される。 ◆年間行事 動物慰霊祭(秋季)。 ❊年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊年間行事(拝観)は中止、日時・場所・内容変更の場合があります。 ❊参考文献・資料 慰霊塔の説明板、ウェブサイト「京都市動物園」、『京都の歴史10 年表・事典』 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() ![]() ![]() ![]() 休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌平日)/年末年始(12月28日-1月1日) |
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