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旧日本経済史研究所(農学部附属旧農業簿記研究施設) (京都市左京区) Former Institute for the History of Japanese Economy |
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旧日本経済史研究所 | 旧日本経済史研究所 |
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京都大学北部構内一角に、旧日本経済史研究所(きゅう-にほんけいざいし-けんきゅうじょ)の建物が残されている。変遷を経て、一時は京都大学農学部附属農業簿記研究施設としても使用された。 ◆歴史年表 近代、1933年、京都帝国大学教授・黒正巌(1895-1949)は、私財を投じ、「日本経済史研究所」を京都帝国大学構内に隣接して設立した。 現代、1945年以降、進駐軍が建物を接取する。 1954年、進駐軍の接取解除を機に、京都大学が黒正家より旧研究所を購入した。その後、農林経済調査室が「農業簿記研究調査所」と名称変更し旧研究所内に移転する。 1958年、調査所が官制化され、「京都大学農学部附属農業簿記研究施設」になる。初代施設長・桑原正信教授が就任する。 1966年までに、研究施設内部の改修・鉄筋3階部分の増築が行われた。 1995年、施設は廃止される。旧農林経済学専攻とともに生物資源経済学専攻に発展した。現在は「京都大学生物資源経済学専攻別館」になっている。 ◆黒正巌 近現代の経済史学者・黒正巌(こくしょう-いわお、1895-1949)。旧姓は中山。岡山県の生れ。1920年、京都帝国大学経済学部を卒業した。1922年、京都帝大講師、1926年、京都帝大教授になる。農史講座初代教授だった。その後、六高校長(現・岡山大学)、昭和学園理事、大阪経済大学学長、岡山大学教授などを歴任した。社会経済史学会理事を務める。1933年、私財を投じ日本経済史研究所を設立し、理事を務めた。1949年、日本学術会議議員になる。著『百姓一揆の研究』(1928)など。55歳。 農業史家・農村社会史学者であり、戦前の社会経済史学、M.ウェーバーの社会経済史の日本への紹介、百姓一揆の研究でも知られた。 ◆大槻 正男 近現代の農業経済学者・大槻正男(おおつき-まさお、1895-1980)。詳細不明。宮城県の生まれ。東京帝国大学農学部を卒業した。京都帝国大学教授になる。退官後に東京農大教授、農地審議会委員、米価審議会委員などを務めた。学士院会員。1966年、日本農学研究所農学賞を受章する。著『農業経営学の基礎概念』など。85歳。 自計式農家経済簿記(京大式簿記)を開発・普及する。 ◆桑原 正信 近現代の農業経済学者・桑原 正信(?-?)。詳細不明。農学博士、京都大学教授になる。1958年、京都大学農学部附属農業簿記研究施設の初代施設長に就く。近畿農業協同組合研究会を設立した。1967年、社団法人農業開発研修センター初代会長理事に就く。 ◆建築 近代、1933年、黒正巌(1895-1949)は私財を投じ、日本経済史研究所を京都帝国大学構内に隣接して建てた。 現代、1966年までに、内部の改修・鉄筋3階部分の増築が行われている。 詳細不明、鉄筋コンクリート造。 ◆農林経済調査室 近代、1924年より京都帝国大学農林経済学科の学科内措置として、「農林経済調査室」が設置された。現代、1954年に旧日本経済史研究所のあった現在地に移転し、「農業簿記研究調査所」と名称変更した。 1958年に調査所が官制化され、「京都大学農学部附属農業簿記研究施設」になる。京都大学教授・大槻正男の後任として、初代施設長には京都大学教授・桑原正信が就任する。 1995年に施設は廃止される。旧農林経済学専攻とともに京都大学生物資源経済学専攻に発展した。現在は「京都大学生物資源経済学専攻別館」として使用されている。 ❊年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 旧農学部附属農業簿記研究施設の説明板、ウェブサイト「農業経済研究と研究者への期待第56回 地域 農林経 済学 会大会 基調 講 演」、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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