二本松通・文化村 (京都市左京区)  
Nihommatsu Street
二本松通・文化村 二本松通・文化村
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「二本松」の道標
 北大路通の1筋南、中通との交差部分に「二本松(にほんまつ)」の道標が立てられている。二本松通は、この地点の北東から南西方向に通じている。
 近代、付近に文化村(ぶんか-むら)が開かれ、通り沿いの商店街は一時繁栄した。
◆歴史年表 近代、大正期(1912-1926)終わり頃、現在の左京区下川原町・中川原町・上川原町付近が住宅街として開発され、文化村と呼ばれた。二本松通は、文化村の商店街として開かれる。
 1927年、七日会により現在の道標が立てられた。
 1935年頃、実業家・大社義規(おおこそ-よしのり)は、下鴨の精肉店にハムを卸し、文化村で好評を博した。
◆大社義規 近現代の実業家・大社義規(おおこそ-よしのり、1915-2005)。香川県の生まれ。高松高商(現・香川大学)を中退した。叔父経営の「香川県養豚組合」に入る。1942年、「徳島食肉加工場(のち徳島ハム)」を設立した。1951年、「徳島ハム株式会社」が発足する。1963年、「鳥清ハム」と合併し、「日本ハム」を設立し社長に就く。1969年、モニターの「奥様重役会」が始まる。1973年、プロ野球の「日拓ホームフライヤーズ」を買収し、「日本ハムファイターズ」として参入した。1990年、会長兼社長になる。1996年、会長に専任した。2002年、牛肉偽装事件により辞任する。2009年、特別表彰で野球殿堂入りした。90歳。
◆文化村・二本松通 近代、大正期(1912-1926)の終わりに、鴨川・高野川の竹薮が拓かれた。現在地の西側、鴨川との間に、現在の左京区下川原町・中川原町・上川原町付近が住宅街として開発される。学校教師・芸術家らが多く住んでおり、「文化村」と呼ばれた。
 二本松通は、文化村の商店街として開かれる。北の深泥池・松ヶ崎方面からも買い物客が訪れていた。1930年以降に、京都市電北大路線(千本北大路-北大路大徳寺前)が開業する。1931年には北大路大徳寺前-上総町(後に烏丸車庫前と改称)が開業した。市電を利用した通勤客は二本松通を利用した。通りの往来は大いに賑わい「下鴨京極」と呼ばれた。
 1934年に市電北大路線の全線開業により、次第に中通の商店街が賑わい二本松通は衰退する。
◆道標 道標「二本松」碑文の南側には「二本松」、北側には「昭和第一之天長節 七日会植之」と刻まれている。
 第124代・昭和天皇(1901-1989)の、昭和元年(1927年)の天長節(天皇誕生日、4月29日)を記念し、七日会により道標が建立された。
◆ハム  ◈日本ハム創業者・大社義規(おおこそ-よしのり、1915-2005)は、京都営業所を開設した。自ら自転車に乗り、市内の精肉店への営業活動を行った。当初は、どこの店も相手にしなかった。
 近代、1935年頃に、下鴨の精肉店に試しに卸したハムが評判になった。文化村には受け入れられたという。
  ◈日本のハムの歴史について詳細は不明。江戸時代に野豚のハムがあったともいう。
 幕末に、ハムは「臘干(らかん、豚臘干)」といわれた。江戸時代後期、1860年の遣米使節団の一人・森田岡太郎(もりた-おかたろう、1812-1861)は、ハワイで日本人初のハムを食した人物とさていれる。自らの『亜行日記』に記している。
 近代、1872年に、長崎大浦の片岡伊右衛門(?-?)は、来遊中のアメリカ人・ペンスンから、骨付きハムの製法を伝授された。同年に工場を建設し、第122代・明治天皇に献上した。1873年に、北海道開拓使庁、1876年には東京農事試験場、札幌養豚場で「火腿(ハム)」を試作している。


年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 ウェブサイト「京都のいしぶみデータベース-京都市」、『親と子の下鴨風土記』、ウェブサイト「レファレンス協同データベース」、ウェブサイト「タカラ食品工業」、ウェブサイト「伊藤ハム」、ウェブサイト「日本ハム」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 二本松通 〒606-0813 京都市左京区下鴨貴船町43-3
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