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本久寺 (京都市上京区) Honkyu-ji Temple |
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本久寺 |
本久寺 |
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![]() 山門 ![]() 山門 ![]() 本堂 ![]() ![]() 本堂 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 鐘楼 ![]() 鐘楼 ![]() 庫裏 ![]() ![]() ![]() 【参照】「姥ケ西町」の表示 |
上立売通千本東入ルに本久寺(ほんきゅう-じ)はある。山号は境智山という。 日蓮宗(法華宗)、かつて法華宗真門流・本隆寺(上京区)末だった。 御朱印が授与される。 ◆歴史年表 室町時代、1564年、丹波周山の信者・森吉太夫の寄進により日岏(にちこつ)により創建された。 江戸時代、1730年、京保の大火により類焼する。 1761年、堂舎を再建した。(『坊目誌』) ◆日岏 室町時代後期-安土・桃山時代の日蓮宗の僧・日岏(にちこつ、1516-1583)。智願院日岏。9歳で本隆寺開祖・常不軽院日真大和尚の門に入り、剃髪度牒を受け圭讃に改めた。1529年、師の没後、本隆寺6世・証誠院日雄の弟子になる。約20年間の行学・修行後に、2祖・日鎮より智願院の号を譲られる。1587年頃より数年間、師の生誕地・山陰に向かい行脚布教する。武士・足立権太兵衛基則が境内地を寄進し、1553年、妙法寺(兵庫県丹波市)を開山し、法華経本門の信行道場にした。京都に帰り、1564年、丹波周山の信者・森吉太夫から京都の寺を寄進され、本久寺を創建した。天正年間(1573-1592)初め、再び山陰地方を巡り、黒井に蓮華寺を建立した。摂津の多田満仲の末流・能勢長左ェ門頼高が信者になる。小庵・智海坊(1436年頃に創建)を再興し、持経寺と命名した。60歳を超え、本久寺に止住(居住)したとみられている。67歳。 ◆仏像など 本堂内陣中央に「日蓮上人像」、上に「釈迦如来像」・「多宝如来像」を安置する。 左脇檀に開山の「日屼上人像」、右脇檀に「鬼子母神像」、本堂右手に「大黒天像」が祀られている。 ◆建築 「本堂」は南面して建つ。 ほか、山門、庫裡、客殿、鐘楼がある。境内300坪(991.7㎡)ある。 ◆年間行事 年頭御祈祷会(1月)、節分会(星祭り)(2月)、春季彼岸会(3月)、開山忌(5月)、平和の鐘をつく会(同会の主催による。)(8月6日)、盂蘭盆会(8月)、秋季彼岸会(9月)、高祖御報恩会式(11月)、除夜の鐘(12月31日)。 ❊年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊年間行事(拝観)は中止、日時・場所・内容変更の場合があります。 ❊参考文献・資料 ウェブサイト「京都府の寺院一覧- 法華宗真門流」、ウェブサイト「智願院 - 法華宗 立正山 妙法寺」、『京都市の地名』、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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