旧鐘紡京都工場汽罐室(東大路高野第3住宅集会所) (京都市左京区)  
Former Kanebo Kyoto factory boiler room
旧鐘紡京都工場汽罐室 旧鐘紡京都工場汽罐室
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西側、東大路高野第3住宅集会所

西側、集会所



西側、集会所、「東大路高野第3住宅集会所・管理事務所」の銘鈑

西側、集会所、「市民が選ぶ文化財」の銘鈑

西側、集会所、入口

西側、集会所


西側、集会所

西側、集会所

西側、集会所

西側、集会所

東側、集会所


北側、集会所


南側、南の門


北側、南の門


北側、南の門


西側



西側、煉瓦壁

西側、煉瓦壁

西側、煉瓦壁

西側、煉瓦壁


西側、煉瓦壁


西側、煉瓦壁

西側、煉瓦壁


東側、煉瓦壁


東側、煉瓦壁




西側、高野第3住宅れんが広場




「東大路高野」の石標、高野第3住宅れんが広場
 高野第3住宅れんが広場の南側に、日本都市整備公団東大路高野住宅団地がある。公園の南東に、東大路高野第3住宅集会所が建つ。建物は、旧鐘紡株式会社京都工場の汽罐室(きかんしつ、ボイラー室)だった。 
 旧紡績工場の設計は、近代の建築家・横河民輔による。工場跡地・公団住宅の設計は、近現代の建築家・川崎清が手掛けた。
◆歴史年表 近代、1906年、10月、鐘紡株式会社は、現在地の旧田中村に工場建設を開始した。 
 1907年/1908年、鐘紡株式会社京都工場が竣工する。
 1908年5月、工場は操業開始した。
 現代、1975年、4月、京都工場は全面封鎖される。
 1976年、4月、工場建物の解体が終了し、跡地は日本住宅公団に引き渡される。
 1978年、工場跡地は公団東大路高野住宅として再生された。
 2005年、集会所は、京都の近代建築を考える会の「市民が選ぶ文化財」に選定される。
 2016年、6月、銘鈑「元鐘紡株式会社京都工場」が、鐘紡京都工場OB鐘京会・東大路高野第3住宅管理組合により設置された。
◆横河民輔
 近代の建築家・実業家・横河 民輔(よこがわ-たみすけ、1864-1945)。播磨国(兵庫県)生まれ。蘭方医・横河安鼎の4男。帝国大学工科大学造家学科(現・東京大学工学部建築学科)で学ぶ。1889年、大学卒業後、建築設計事務所を開設する。1892年、三井財閥の三井元方嘱託・東京工業学校講師になる。1895年、技師長格で三井元方に入社し、三井系企業の建築物設計を行なう。1903年、独立し、「横河工務所(現・横河建築設計事務所)」を開設した。東京帝国大学工科大学講師になり、日本初の「鉄骨構造」を講義した。1906年、「横河工務所大阪支店」を開設する。1907年、「横河橋梁製作所(現・横河ブリッジ)」を分離独立する。 1908年、帝国劇場設計に際し、欧米諸国を視察した。 1911年-1928年、建築業協会理事長に就任する。1915年、工学博士を授与される。「電気計器研究所(現・ 横河電機株式会社)」を創立した。1916年、「東亜鉄工所(現 ・横河東亜工業株式会社)」を創立する。 1917年、大蔵省議院建築調査委員になり、国会議事堂建設に関与した。1918年、大蔵省臨時議院建築局常務顧問になる。1925年-1927年、社団法人「日本建築学会」会長を務めた。 1928-1945年、「建築業協会」会長、1930年-1945年、「建築資料協会」会長になる。1935年、合資会社「建築施工研究所」を設立した。 1938年、「両全社(横河コンツェルン本社)」を設立する。 1939年、文部省国宝保存会委員に任命された。1943年、横河工務所所長を辞任する。1944年、財団法人「尚徳学園」理事長になる。1964年、第1回日本建築祭で、日本建築界先覚者遺徳顕彰の1人に選ばれた。80歳。
 主な作品は先代・三井本館(1902)、第一生命保険相互会社(1906)、有楽座(1908)、帝国劇場(1911)、三越呉服店(三越日本橋本店)(1914)、東京銀行集会所(1916)、日本工業倶楽部(1920)、猿江小学校(1922)、千代田生命本店(1924)、平和不動産日証館(1928)、交詢ビルディング(1929)、日本電報通信社(電通)社屋(現・電通銀座ビル)(1934)など。
◆川崎清 近現代の建築家・川崎清(かわさき-きよし、1932-2018)。新潟県生まれ。1951年、新潟県立三条高等学校を経て、1955年、京都大学工学部建築学科卒業した。1957年、京都大学大学院研究科建築学専攻修士課程を修了した。1958年、京都大学大学院研究科建築学専攻博士課程を退学する。1958年、京都大学工学部建築学科講師、1964年、京都大学工学部建築学科助教授、1970年、大阪大学工学部環境工学科助教授になる。日本建築学会万国博特別賞を受賞する。1971年、京都大学工学博士を学位取得した。1972年、大阪大学工学部環境工学科教授になる。1973年 、芸術選奨文部大臣賞を受賞した。1974年-1983年、大阪市立大学非常勤講師になる。1983年、京都大学工学部建築学科教授、1988年、建築業協会賞を受賞した。1991年、京都駅コンペ審査員長になる。1995年 、同済大学終身顧問教授(中国上海)、1995年-1998年、 精華大学客員教授(中国北京)、1996年、京都大学名誉教授になる。京都デザイン賞を受賞した。1996年、立命館大学理工学部環境システム学科教授になる。2011年、瑞宝中綬章を受賞する。86歳。
 主な作品は、万国博美術館(現・国立国際美術館)(1970)、栃木県立美術館(1972)、京都市美術館収蔵庫(1972)、公団東大路高野住宅(1978)、相国寺承天閣美術館(1984)、みやこめっせ(1996)、京都大学文学部博物館(2000)、京都大学百周年時計台記念館(2003)、石川県こまつ芸術劇場うらら(2003)、新潟県立三条高等学校(2005)など。
◆建築 ◈ 鐘紡株式会社京都工場は、近代、1907年/1908年に竣工した。設計は横河工務所(横河民輔)による。
 施工は竹中工務店による。煉瓦造、スレートの鋸屋根。
 ◈ 1978年に、工場跡地は東大路高野第3住宅集会所として改築される。改築設計は川崎清による。建物は、集会所であり、東大路高野第3住宅管理組合事務所も入る。
 旧工場の汽罐室(きかんしつ、ボイラー室)、旧工場の外壁部分の鋸状煉瓦壁のみが保存・改修された。汽罐室は集会所として改装される。鉄筋コンクリートで補強され、屋根のトラスは一部陸屋根に変更された。
 煉瓦・鉄筋コンクリート造2階建、スレート・陸屋根。
◆鐘紡株式会社京都工場 近代、1906年10月に、鐘紡株式会社は田中村に工場を建設開始した。1907年/1908年に工場が竣工する。1908年5月に、工場は絹紡5100鐘、油糸1260鐘で操業開始する。
 1913年4月に、機械1000台で織布工場を増設する。従業員数は3410人だった。1922年11月に、第4期増設が行われ、機械570台で東洋一の絹紡工場として生産規模、品質を誇った。第二次世界大戦までその地位にあった。1922年-1928年には、第123代・大正天皇皇后、皇太子など皇室関係者が相次いで工場視察している。1941年12月-1945年に、太平洋戦争開戦に伴い戦闘機製作などの軍需工場に転換された。
 戦後、1947年7月に、梳毛(そもう、羊毛の繊維より分け、梳いて縮れを延ばした作業)工場として操業再開する。1951年1月に、工場敷地52900坪(17万4876㎡)、建坪24100坪(7万9669㎡)、従業員数1820人(男子320人、女子1500人)を有していた。1953年12月に梳毛紡績7セットを増設する。工場敷地は55786坪(18万4417㎡)あった。
 1971年12月に、全工場を手編毛糸に専紡化し再出発する。だが、1975年4月に、京都工場は全面封鎖される。従業員689人は各工場へ分散再雇用された。
 1976年4月に、工場建物の解体は終了し、日本住宅公団に引き渡される。旧建物の一部、工作物、樹木なども保全され住宅団地、集会所、公園として再活用された。
 

原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 銘鈑「元鐘紡株式会社京都工場-鐘紡京都工場OB鐘京会」、『京都の赤レンガ』、『京都モダン建築の発見』、ウェブサイト「横河建築設計事務所」、ウェブサイト「川崎 清 + 環境・建築研究所」、ウェブサイト「京都の近代建築を考える会」、ウェブサイト「コトバンク」


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