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旧京都帝国大学基督教青年会会館(京都大学YMCA会館) (京都市左京区) Former Kyoto empire University christianity young man society Hall |
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旧京都帝国大学基督教青年会会館 | 旧京都帝国大学基督教青年会会館 |
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![]() 南側 ![]() 南側 ![]() 南側 ![]() 南側 ![]() 南側、「京都大学YMCA会館」の銘鈑 ![]() 南側、「地塩寮」の銘鈑 ![]() 南側、「登録有形文化財」の銘鈑 ![]() 南側、正面玄関 ![]() 南側、正面玄関 ![]() 南側、正面玄関 ![]() 南側、正面玄関 ![]() 南側 ![]() 南側 ![]() 南側、軒 ![]() 南側 ![]() 南側 ![]() 南側 ![]() 南側 ![]() ![]() 東側 ![]() 東側 ![]() 西側 ![]() 京都府立医科大学YMCA橘井寮 ![]() ![]() 京都府立医科大学YMCA橘井寮 ![]() 京都府立医科大学YMCA橘井寮 |
旧京都帝国大学基督教青年会会館(きゅう-きょうとていこくだいがく-きりすときょう-せいねんかいかん)は、東一条通に面して建つ。現在は、京都大学YMCA会館と呼ばれている。 ヴォーリズの設計により、現存最古級、大学YMCA会館の現存最古例になる。 ◆歴史年表 近代、1914年、旧京都帝国大学基督教青年会会館は竣工した。 現代、1999年、7月、国の登録有形文化財に登録される。 2003年、9月、京大YMCA発足100周年記念事業として、改修工事が行われている。 ◆ヴォーリズ 近現代のキリスト教伝道者・社会事業家・建築家 ・ヴォーリズ・ウィリアム・メレル(Vories William Merrell,1880-1964)。男性。本名は一柳米来留(ひとやなぎ-めれる)。アメリカ合衆国カンザス州生まれ。父はジョン・ヴォーリズ、母はジュリア・ヴォーリズの長男。 1888年、8歳で転地療養のために、アリゾナ州フラグスタッフへ移る。絵画と音楽とに親しむ。1896年、コロラド州デンバーに転居した。1900年、イースト・デンバー高校卒業、コロラド大学入学した。YMCA活動を始める。1902年 、カナダ・トロントの「海外伝道学生奉仕団(SVM)」第4回世界大会にコロラド大学代表として出席し、ハワード・テイラー女史の講演に感銘を受けた。建築家の夢をあきらめ外国伝道を決意する。1904年、コロラド大学哲学科を卒業し、コロラドスプリングスYMCAの主事補になる。1905年、来日し、滋賀県県立商業学校(現・滋賀県立八幡商業高校)英語教師として着任した。日本初の中等学校YMCAを創立する。1907年、最初の設計になった八幡キリスト教青年会館(八幡YMCA)が落成する。キリスト教伝道の理由で教師解職になる。The Omi Mustard Seedを創刊した。 1908年 、 京都三条YMCAの一室に、建築設計監督事務所(現在の一粒社ヴォーリズ建築事務所)を開業する。1910年、建築家・レスター・チェービン、吉田悦蔵と「ヴォーリズ合名会社」を設立した。1911年 、 近江ミッションを結成した。本格的な伝道活動を開始する。1912年、『湖畔の声』を創刊した。1914年、メンソレータム社の創業者 A.A.ハイドの支援で、琵琶湖の伝導船「ガリラヤ丸」が進水し、各地に教会を設立する。1918年、 「近江基督教慈善教化財団(現在の公益財団法人近江兄弟社)」を設立し、理事長に就任した。日本初の結核療養所「近江療養院(近江サナトリアム、現在のヴォーリズ記念病院)」を開院する。1919年 、子爵・旧小野播主・一柳末徳(ひとつやなぎ-すえのり)の3女・満喜子と結婚した。1920年、ヴォーリズ合名会社を解散し、「近江セールズ株式会社(現在の株式会社近江兄弟社)」を設立する。メンソレータム(現在の近江兄弟社メンターム)を販売開始した。1922年、私立清友園幼稚園(現在の学校法人ヴォーリズ学園)を設立する。1930年、母校コロラド大学よりLLD(名誉法学博士号)を受ける。同志社大学社友に推薦された。1931年、外皮用薬八幡工場(現在の近江兄弟社工場)が完成する。1933年、近江勤労女学校を設立した。1934年、 近江ミッションを近江兄弟社と改称した。1941年 、日本国籍を取得し、一柳米来留と改名する。京都帝国大学、同志社大学などで教え、1942年、東京帝国大学講師を勤める。戦時中は軽井沢で過ごした。1945年 、マッカーサー元帥と近衛文麿元首相との会談実現のために尽力する。1947年、 近江兄弟社小学校、中学校、1948年、高等学校を開設した。1951年、社会公共事業に対する功績により藍綬褒章を受ける。1957年 、軽井沢で倒れ、近江八幡の自宅に帰り、療養生活に入る。 1958年、近江八幡市名誉市民第1号に推される。1960年 、日米修好通商百周年に功労者として顕彰を受ける。1961年 、建築部門は独立し、「一粒社ヴォーリズ建築事務所」が設立される。黄綬褒章を受けた。1964年、亡くなる。正五位勲三等瑞宝章を受ける。著『吾家の設計』『失敗者の自叙伝』など。83歳 。遺骨は近江兄弟社霊園恒春園(近江八幡市)に眠る。 伝道の一環として多岐にわたる活動を行う。建材・オルガン輸入、保育施設、幼稚園から高等学校の教育活動、図書館運営、出版、建築(住宅、学校、教会、デパート、ホテルなど)は幅広く手がけた。主な設計作品に、第1作の近江八幡YMCA会館(1906)、大丸心斎橋店本館(1922)、駒井家住宅(1927)、関西学院大学の建物群(1929)、神戸女学院の建物群(1933) (重文)、豊郷小学校(1937)など数多い。 ◆建築 ◈旧京都帝国大学基督教青年会会館は、近代、1913年に竣工された。ヴォーリズ合名会社の設計による。ヴォーリズ設計としては初期の作風が見られる。現存最古級、大学YMCA会館の現存最古例になる。 南面して建つ。煉瓦造で、外壁をモルタル塗り仕上げにしている。ハーフティンバー風(テンバーは木材であり、柱・梁・筋違などの骨組みを外に見せ、その間に煉瓦などを充塡し壁にしたイギリスなどに見られる様式)に見せている。外観は左右対称であり、中央に正面玄関、東端、西端に切妻屋根を載せている。 2003年9月改修工事が行われた。建設当初のレンガ色に、玄関周辺、付柱、軒、窓枠などが塗り直されて復元された。建物の随所に配されている「逆三角形」の意匠は、YMCA正章の一部で、精神、知性、身体の均整のとれた全人的成長への願いを表している。塀も煉瓦造であり、同様にモルタル仕上げになっている。 施工は不詳、煉瓦造2階建、スレート葺、建築面積197㎡。 ◈「地塩寮(ちえんりょう)」は、近代、1913年に青年会会館の北側に隣接して竣工した。ヴォーリズの設計による。北米YMCAの寄付をもとにしている。名は、聖書の一節「汝らは地の塩なり」に由来する。京都帝国大学YMCAが寮を運営する。1968年に再建され、旧寮は現存していない。 ◈西に隣接する「京都府立医科大学YMCA橘井寮」も、1913年に竣工されている。ヴォーリズの設計による。 ◆YMCA キリスト教青年会(Young Men’s Christian Association)は、1844年に創立された。イギリス・ロンドンの呉服商店員・ウィリアムズ(George Williams、1821- 1905)ら12人の青年による。当時の苦境にあった青少年労働者のために、キリスト教の信仰に基づく人間教育、社会奉仕を目的にした。その後、1855年に、パリで世界YMCA同盟が結成されている。1886年に、アメリカ合衆国マサチューセッツ州マウント・ハーモンで大学生のための夏期学校が開かれた。以後、海外宣教運動に端を発し、学生の運動も始まる。 日本では、近代、1880年に英語教育家・神田乃武(かんだ-ないぶ、1857-1923)らの提唱により東京に設立された。1882年に大阪、1886年に神戸にも設立されている。京都では、1887年に「京都青年会」の活動が、実業家・大沢善助(1854-1934)、実業家・政治家・中村栄介(1849-1938)、同志社出身の牧師・井手義久らにより始まっている。 1888年に学生部の「東京帝国大学学生基督教青年会」が設立された。1899年に京都帝国大学の学生を中心にした「京都帝国大学YMCA」が設立されている。 1903年2月に、キリスト教系教育者・田村初太郎(1852-1915)、医師・教育者・福田令寿(1873-1973)らも加わり、「京都基督教青年会」が再建創立されている。1904年に仮会館(三条通御幸町西入ル)に英語学校が創立された。日曜講話、講演会、聖書研究会なども行っている。1910年に三条柳馬場(現・三条本館)に移された。 ❊原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 ❊参考文献・資料 ウェブサイト「文化財データベース-文化庁」、『京都大事典』、ウェブサイト「京都YMCA」、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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