革島医院 (京都市中京区)  
Kawashima Clinic
革島医院 革島医院
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西側


西側


西側


西側、「登録有形文化財」のプレート


西側、「歴史的意匠建造物」のプレート


西側、北西端の円錐形


西側、北西端の円錐形屋根


北西端の円錐形屋根上

北西端、円筒形塔屋の窓


南西端、階段室

南西端、切妻屋根


南西端、切妻屋根

西側、屋根

西側、明かり窓

西側、窓
 麩屋町通六角下ルに革島医院(かわしま-いいん) がある。
 独特の個人住宅兼開業医院であり、現在は建物全体が蔦で覆われている。施主・革島彦一自身も設計に関わった。
◆歴史年表 近代、1936年、現在の建物が竣工した。
 現代、1999年、11月、京都市の歴史的意匠建造物に指定された。
 2005年、11月、国の登録有形文化財に指定される。
◆革島彦一 近代の医者・革島彦一(かわしま-ひこいち、1874-?)。詳細不明。1896年、京都府医学校を卒業した。外科教室に入り、猪子止戈之助(いのこ-しかのすけ)の教えを受けた。1899年、猪子は創立された京都帝国大学医科大学に移り、初代教授として外科学第一講座を担当し、医科大学付属病院初代院長になる。彦一、尾見薫は第二外科・伊藤隼三教授の助手になった。2人は、キール大学外科・ビール(August Karl Gustav Bier 、1861 -1949) の創始した脊椎麻酔を追試している。
 日本の麻酔を導いた府立医大の先駆者の一人になる。
◆首藤重吉 近代の建築士・首藤重吉(?-?)。詳細不明。愛媛県生まれ?。1921年、大阪日本建築協会の第2回改良住宅設計図案懸賞に4等に入選している。京都あめりか屋で設計を担当した。1936年、竣工の革島医院の設計を担った。
◆山本 磯十郎 近現代の建築士・山本磯十郎(やまもと-いそじゅうろう、1888-1987)。詳細不明。福井県遠敷郡瓜生村(現・若狭町)生まれ。東京高等工業学校(現・東京工業大学)を卒業した。教員を経て、あめりか屋大阪出張所(所長・西村辰次郎)のもとで技師として働いた。1923年、独立し京都あめりか屋(高倉六条)を開業する。
◆建築 革島医院は近代、1936年に竣工した。施主・革島彦一は、半年間をかけ自ら図面を引き、30回程書き直して素案にした。設計・施工を担った京都あめりか屋の首藤重吉が設計案を仕上げた。1999年11月に、京都市の歴史的意匠建造物に指定された。2005年11月に、国の登録有形文化財に指定されている。
 麩屋町通に西面して建つ。住宅兼大規模な開業医院建築であり、外観意匠は、初代が留学したドイツの城郭を参考にしたという。フランス瓦(洋瓦)を使用している。北西端の居室部分には、銅板葺の円錐形屋根を載せる。タイル張の円筒形塔屋が建つ。壁面はモルタル塗りであり、腰部分はスクラッチタイル貼りになっている。正面南寄りの階段室は、通り側にやや突き出している。切妻屋根(ゲーブル)を載せる。妻はハーフティンバー(柱・梁・筋違などを付け柱にし、その間を壁にした)として張出している。格子窓は垂直方向に連ねている。
 平面はロ字型になる。中庭を挟み南側に病院部分、北側に住宅部分がある。入口は南面し、待合室の壁上に2連、3連などの円窓が多用されている。待合室に、当初は巨大な灯台の模型が置かれ、自動的に点滅回転していたという。子供が退屈しないようにという配慮であり、医院の内装は船室が想定されていた。
 1階にはほかに、診察室、ドイツ式の手術室(白タイル貼り)は水洗いが可能になっていた。レントゲン室、薬局、事務室、ホールなどがあった。2階は洋室の病室(フローリング)であり、個室、3人部屋があり、付き添い者用の畳敷きも備えられていた。居室部分の応接室は、アール(曲線、曲面)を強調している。
 木造3階建、瓦葺、建築面積376㎡。
◆あめりか屋 ◈近代、1909年11月に「あめりか屋」(東京市芝区琴平町)は、橋口信助によって開業された。信助は渡米生活を終えて帰国し、当初は家具、建具店を開く。アメリカからツー・バイ・フォー工法のバンガロー風住宅を輸入し販売した。その後、住宅の設計施工会社に発展する。アメリカの影響を受けた日本初の住宅専門会社だった。1916年8月に、あめりか屋内に「住宅改良会」を設立する。軽井沢に出張所を開設し、政財界の別荘建築を多く手がける。1919年5月、株式会社あめりか屋を設立した。1940年に住宅改良会の機関紙『住宅』が創刊され、日本初の住宅専門誌になった。1941年に日米が開戦し、「建拓社」に改称する。1943年、太平洋戦争時に活動停止した。
 ◈1917年10月に、大阪出張所が開設され、西村辰次郎が所長になる。1923年に、辰次郎は本店から営業権を買い取り、「大阪あめりか屋」として独立する。1942年に閉鎖した。
 ◈1923年10月、大阪出張所の辰次郎のもとで、技師として勤務していた山本磯十郎も独立し、「京都あめりか屋」(高倉六条)を開業している。1947年6月に株式会社になる。京都の「あめりか屋」(左京区)は現在も存続している。
 京都のあめりか屋の特徴として、スパニッシュ・スタイルを基調にした洋風住宅、施主の趣味を反映させた意匠、和風部分も残すなどになる。作品は、同志社大学新島会館、ドイツ人設計家ブルーノ・タウト設計指導の住宅、富岡鉄斎、武田五一宅、林内科医院、岩根邸(1926)、森邸(1929)、革島医院(1935)などがある。
 ◈1936年に篠原恒造は、あめりか屋京都店に入社している。1951年に「あめりか屋敦賀店」(福井県敦賀市)として独立した。1989年に株式会社になった。
 敦賀の「あめりか屋」も、現在も存続している。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 ウェブサイト「文化庁 文化財データベース」、ウェブサイト「日本の麻酔を導いた府立医大の先駆者たち-ヨンケル、革島彦一、尾見薫、並川力-京都府立医科大学」、『京都の洋館』、 『京都の近代化遺産』、『新版 京都の洋館』、ウェブサイト「京都の工務店建築家と建築を志向した芸術家たち-京都市文化観光資源保護財団」、ウェブサイト「株式会社あめりか屋」、ウェブサイト「あめりか屋敦賀店」、ウェブサイト「デジタルアーカイブ福井」、ウェブサイト「国立国会図書館 レファレンス協同データベース」、ウェブサイト「日本建築協会の懸賞当選案 - 神戸大学 電子図書館システム 」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 革島医院 〒604-8065 京都市中京区坂井町468-1,麩屋町通六角下ル
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