佐治城碑(遥拝所) (京都市山科区)  
the monument of The Saji Castle
佐治城碑(遥拝所) 佐治城碑(遥拝所)
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 勧修寺の府道118号線道路脇に、佐治城碑(遥拝所)(さじじょう-ひ)が立つ。
 現在地の西には、かつて近江・佐治城(滋賀県甲賀郡小佐治)があった。
◆歴史年表 平安時代、1062年、平維時の子・業国/康国が佐治郷に転封し、佐治氏を名乗ったという。
 安土・桃山時代、佐治氏は織田信長、豊臣秀吉の諸国統一に協力する。
 1583年、甲賀破議で佐治氏は領地没収命令が出された。
 1585年、佐治氏は佐治城に籠城し、豊臣秀吉の軍に滅亡した。
 現代、2001年、11月、発起人・神谷季与孔により、現在地に佐治城碑が立てられる。
◆近江・佐治氏 近江・佐治氏は、平安時代、1062年に平業国/康国(?-?)が伊豆国より佐治郷(滋賀県甲賀郡小佐治)に転封して始まる。佐治/小佐治を名乗る。小佐治、神保、隠岐、伊佐野、平野の佐治郷五カ村を領した。近江・佐治城跡が築かれ、以来、佐治氏の居城になる。
 南北朝時代、1337年、後醍醐天皇方の勢力が信楽で蜂起する。佐々木道誉は、小佐治ら甲賀武士に迎撃させた。本隊は山中道俊が率い、小佐治基氏は別働隊に属して戦う。
 室町時代、南近江半国守護に佐々木六角氏が補任され、佐治氏はその被官になる。1487年、長享の乱で、幕府は幕命に従わない六角高頼(行高)を討伐した。佐治河内守は高頼を支援する。戦功をあげた佐治氏は、六角氏より感状をもらった甲賀二十一家中の北山九家の一つになる。
 安土・桃山時代、佐治氏は織田信長、豊臣秀吉の諸国統一に協力する。1568年、佐治為次は信長の上洛軍に従い、六角氏攻めに加わる。観音寺城主・六角氏の滅亡後、その功により佐治、平野などの所領地を得る。信長より本領を安堵される。その後、1571年に加増された。
 1582年の本能寺の変後、佐治為次は秀吉に属した。1583年の甲賀破議で、甲賀武士は秀吉により所領を一斉没収されている。1584年、小牧・長久手の戦いは、徳川家康が織田信雄を助けて秀吉と戦った。秀吉は甲賀武士を七番備えに配した。だが、秀吉は為次が家康に内通したと疑う。1585年、秀吉の紀州・根来寺攻めで、為次は紀ノ川の堤防工事を命じられた。秀吉は、工事に当った甲賀武士の工期遅れに怒り、領地没収を行う。
 為次は反発し、佐治城に籠城した。佐治城は、秀吉の大軍、堀秀政、中村一氏らに攻められ落城した。佐治氏は滅ぼされた。
◆近江・佐治城 近江・佐治城跡(市指定史跡 )は、愛宕山の山頂にある。
 平安時代、1062年に、佐治康国が愛宕山山頂部(滋賀県甲賀市小佐治字城殿)に築城したという。安土・桃山時代、1585年、豊臣秀吉の軍に城は攻められ、佐治氏は籠城したものの落城した。
 遺構は 標高250mにあり、主郭(本丸)、「桝形池」と呼ばれる堀がある。落城の際に城主と奥方が入水したという。土塁、曲輪、空堀などが残る。
  なお、山麓には佐治神社が祀られている。鎌倉時代、元弘年間(1331-1334)に、業国の子孫・小佐治氏が佐治荘三カ村(小佐治、伊佐野、平野)の領主になった。その守護神として小佐治大明神社が勧請されたという。室町時代、1470年、為氏は、佐治神社の再建を行っている。
◆碑 碑は 2001年に発起人・神谷季与孔により立てられた。東面している。北西方向には佐治氏の本貫地とされる氷上郡佐治(兵庫県丹波市青垣町)、丹波・佐治城があった。
 なお、近江・佐治城跡は、碑の東、滋賀県甲賀郡小佐治に位置する。
 碑には俳句が刻まれている。「夏草に 草色の風ふきわたる」、発起人・神谷季与孔。
 「佐治城は草むらの城泉わく」、俳人 ・坪内稔典(1944-)。
◆丹波・佐治氏・佐治城 中世後期の武家・佐治氏(さじうじ)は、南北朝時代、建武年間(1334-1338)に佐治孫三郎某が丹波に住したという。(『太平記』)。本貫地は氷上郡佐治(兵庫県丹波市青垣町)と見られている。南北朝時代、1349年-1352年の観応の擾乱(かんのうのじようらん)は、将軍・足利尊氏と弟・直義の争いだった。
 この頃、武将・高師直(こうの- もろなお、?-1351)の一族である足利氏の家臣・師詮(?-1353)は、丹波・丹後の守護に就任した。以後、佐治氏は高氏の内衆になる。室町時代、1404年に、高師英(?-?)が山城守護に就任し、佐治守直(?-?)は守護代に登用された。1411年までその職にあり、山城国内各荘園の遵行などに当った。
 なお、丹波・佐治城(丹波市青垣町佐治)は丘城であり、 郭、堀が残るという。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 碑文、ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、ウェブサイト「近江・佐治城(城郭放浪記)」、ウェブサイト「武家家伝_甲賀佐治氏」ウェブサイト「コトバンク」


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