島左近(清興)の墓 (京都市上京区)  
grave of Sshima,Sakon
島左近(清興)の墓 島左近(清興)の墓
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「本山立本寺」板書


「関ケ原大軍師 島左近之墓」の石標


島左近(清興)の墓
 相合図子通(あいあい-の-ずしどおり)に面した立本寺墓地に、安土・桃山時代の武将・島左近(しま-さこん)の墓がある。清興(きよおき)とも称した。
◆歴史年表 1600年、9月15日、島左近は亡くなる。
◆島左近 安土・桃山時代の武将・島左近(しま-さこん、?-1600)。清興(きよおき)、勝猛、友之。島友保(ともやす)の子。大和の国・筒井順慶の臣。後に、豊臣秀長、秀保に仕えた。石田三成の参謀になる。「治部少(三成)に過ぎたるものが二つあり、島の左近と佐和山の城」の落首で知られた。1592年、文禄の役で朝鮮に出兵した。1600年9月、関ケ原の戦いで西軍として加わる。9月14日、徳川家康の到着に動揺する軍を鼓舞するために先鋒として戦う。美濃国杭瀬川で中村一栄、有馬豊氏の軍を破る。9月15日、夜討を進言した島津に賛同しなかった。田中吉政、黒田長政の隊と戦い、家康の本隊に迫る。銃弾を受け戦死した、脱したともいう。
 墓は、立本寺(上京区)ほか、奈良市、大阪市、岩手県陸前高田市、長崎県対馬市などにもある。
◆立本寺 安土・桃山時代、1600年の関ヶ原の戦い後、京都に逃れ、立本寺の僧になったという。
 当寺では、寛永9年(1632年)6月26日に亡くなり、当寺墓地に葬られたという。塔頭・教法院(きょうほんいん)に、位牌、過去帳が残されているという。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献・資料 ウェブサイト「関ケ原町歴史民俗資料館」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 島左近(清興)の墓 〒602-8357 京都市上京区鳳瑞町(ほうずい-ちょう)229
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