赤松小三郎遭難の地 (京都市下京区)  
The Assassination of Aamatsu, Kosaburo location
赤松小三郎遭難の地 赤松小三郎遭難の地
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「贈従五位 赤松小三郎 先生記念」の石標
 東洞院通鍵屋町下ル西側に「贈従五位 赤松小三郎 先生記念(ぞうじゅごい あかまつ こさぶろう せんせい きねん)」の石標が立てられている。南に、「慶応三年九月三日於此遭難」と刻まれている。
 この地で、幕末の兵法家・赤松小三郎は暗殺された。
◆歴史年表 江戸時代後期、1867年、9月3日(新暦9月30日)、赤松小三郎は、帰宅の途中に、この地で薩摩藩士に暗殺された。
 近代、1942年、京都信濃会により石標が立てられた。
◆赤松小三郎 江戸時代後期の洋学者・兵法家・赤松小三郎(あかまつ こさぶろう、1831-1867)。芦田友裕。号は宇宙堂。上田藩士・芦田勘兵衛の次男。1849年、18歳で江戸に出て蘭学を学ぶ。帰藩後、赤松弘の後嗣になる。1855年、再び江戸に遊学し、和算家・暦算家・内田五観(いつみ)、勝海舟の蘭学塾で兵学を修得した。1856年、勝と長崎に赴き、海軍伝習所で航海術を学ぶ。1866年、洋式兵法家として知られ、京都で家塾「天雲塾」(二条衣棚)を開く。1867年、薩摩藩に招かれ、藩士に軍学、英国式歩兵術を教えた。多くの門人(800人)を得る。公武合体論を主張した。藩命により上田への帰藩直前に、薩摩藩士・中村半次郎(人斬り半次郎、桐野利秋)、田代五郎左衛門により斬られた。小三郎の才が、幕府側に利用されるのを怖れたためという。訳書に『英国歩兵練法』(1866)。37歳。
 門人には、中村半次郎、村田新八、篠原国幹、野津鎮男、伊地知正治、樺山資紀、東郷平八郎、上村彦之丞、田代五郎左衛門らがいる。
 墓は金戒光明寺墓地(左京区)にある。
◆遭難事件 江戸時代後期、1867年、9月3日(新暦9月30日)午前4時頃、赤松小三郎は、伏見より帰宅の途中だった。
 この地に差し掛かり、薩摩藩士・中村半次郎、田代五郎左衛門らに暗殺された。2人はかつての門人であり、大八車の陰から襲った。
 小三郎は、上田藩京屋敷に移され、留守居役・赤座寿兵衛の治療を受けたが亡くなる。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、『京都幕末維新かくれ史跡を歩く』、『新選組と幕末の京都』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 赤松小三郎遭難の地 〒600-8188 京都市下京区和泉町,東洞院通鍵屋町下ル西側
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