八橋検校道場跡 (京都市下京区)  
The historic site Yatsuhashi, Kengyo
八橋検校道場跡 八橋検校道場跡
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「このあたり 八橋検校 道場の跡」の石標
 室町通綾小路上ル西側に「このあたり 八橋検校 道場の跡(やつはしけんぎょう-どうじょうのあと)」の石標が立つ。
 この付近に、江戸時代初期の箏曲演奏家・作曲家・八橋検校(やつはし-けんぎょう)の道場が開かれたという。
◆歴史年表 江戸時代、八橋検校(1614-1685)は京都に移り、この地に道場を開いた。筝、三絃弦を武人、町衆、島原、鴨東の花街の人々にも広めたという。
 現代、2008年、 井筒八ツ橋本舗により石標が立てられた。
◆八橋検校 江戸時代初期の箏曲演奏家・作曲家・八橋検校(やつはし-けんぎょう、1614-1685)。初名は城秀(じょうひで)。磐城(いわき)生まれともいう。幼くして失明した。1613年、上京する。寺尾検校城印に地歌三味線を学ぶ。1616年、再上京した。寛永年間(1624-1645)初め、大坂で三弦家になる。加賀都 (柳川検校) とともに、「三弦の名人」と評された。寛永年間半ば、座頭、江戸で筑紫箏(つくしごと)の祖・賢順門下・筑紫善導寺の法水(ほっすい)に学ぶ。1636年、京都の寺尾検校のもとで山住勾当(やまずみ こうとう)と名乗った。その後、九州・筑紫箏の玄恕に師事する。1639年、京都に戻り、上永検校城談と名乗る。慶安年間(1648-1652)、組歌を創作し始めた。磐城平藩藩主・内藤風虎の編詞に基づき、都節(みやこぶし)音階の平調子(ひらじょうし)を創作した。寛文年間(1661-1673)初め、京都に移住した。1662年-1663年頃、江戸・松平直矩邸に移る。1657年以前、名を八橋検校に改めた。1685年、六老として京都綾小路烏丸西入ルに住んだ。72歳。
 近世俗箏の開祖、八橋流箏曲の流祖とされた。三味線・胡弓(こきゅう)の名手といわれる。自ら考案した「陰音階の調弦」による箏伴奏歌曲を成立させる。作品に新調弦による箏組歌「八橋の十三組」、段物「六段の調(しらべ)」などがある。門下から、隅山流、継山流、生田流、八橋流などが生まれた。
 墓は金戒光明寺・常光院(左京区)にある。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 駒札、ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、『京都大事典』、ウェブサイト「コトバンク」


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map 八橋検校道場跡 〒600-8491 京都市下京区鶏鉾町,室町通綾小路上ル西側
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