浅見絅斎邸跡 (京都市中京区)  
The ruins of residence of Asami, Keisai
浅見絅斎邸跡 浅見絅斎邸跡
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「浅見絅斎邸址」の石標
 錦小路通高倉西入ル南側に「浅見絅斎邸址(あさみ けいさい ていあと)」の石標が立てられている。
◆歴史年表 江戸時代中期、この地には、浅見絅斎(1652-1711)の私塾「錦陌(きんぱく)講堂」があったという。
 近代、1916年、京都市教育会により石標が 立てられた。
◆浅見絅斎 江戸時代中期の儒者・浅見絅斎 (あさみ けいさい、1652-1711)。安正。号は望南楼。近江国の医家に生まれる。京都で医学を学ぶ。1678年頃、京都の山崎闇斎に入門し、佐藤直方、三宅尚斎とともに「崎門(きもん)三傑」といわれた。直方とともに、師の学説に疑問を呈して破門になる。一生京外に出ず仕官せず、油小路に講舎を設けた。朱子学者として大義名分論を説く。楠木正成を崇敬した。著『靖献遺言(せいけんいげん)』は、幕末の志士に広く読まれ、各藩校の教書になった。門人に私塾「望楠軒(ぼうなんけん)」を開いた若林強斎がいる。
 墓は鳥辺野墓地(東山区)にある。


原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
参考文献 ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、『京都大事典』、『新選組と幕末の京都』、『京都 歴史案内』ウェブサイト「コトバンク」


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map 浅見絅斎邸跡 〒604-8142 京都市中京区西魚屋町
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