本間精一郎遭難地 (京都市中京区)  
The Assassination of Honma, Seiichiro location
本間精一郎遭難地  本間精一郎遭難地
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「本間精一郎遭難之地」
 木屋町通四条上ルに「本間精一郎遭難之地(ほんま せいいちろう そうなんのち)」の石標が立つ。
 幕末の急進的尊攘派志士・本間精一郎は、この付近で襲撃された。
◆歴史年表 江戸時代後期、1862年、閏8月20日(新暦10月13日)、本間精一郎は先斗町(島原遊廓とも)からの帰途、この付近で薩摩・土佐藩士に天誅斬首された。その後、四条河原で梟首される。
 近代、1968年、石標は京都市により立てられた。
◆本間精一郎 幕末の尊攘派志士・本間精一郎(ほんま せいいちろう、1834-1862)。越後生まれ。醸造家・商人・本間辻右衛門の長男。郷士。1853年、江戸に上る。1855年、江戸の勘定奉行・川路聖謨(かわじ としあきら)の中小姓になる。昌平黌(しょうへいこう)の儒者・安積艮斎(あさか ごんさい)に学ぶ。1858年、安政の大獄により捕らえられ、伏見に入獄した。出獄後、長州、四国、九州に遊説し、尊攘志士との交流を深めた。1859年、川路に従い京都に行く。勤王派、青蓮院宮と交わり、急進活動を展開した。言動が同志の反感を買う。1862年、寺田屋の変後、酒色に身を持ち崩した。斬首され、四条河原に梟首された。29歳。
襲撃事件 江戸時代、1862年閏8月20日(新暦10月13日)、本間精一郎は、先斗町(島原遊廓とも)からの帰途、薩摩藩士・田中新兵衛(1832-1863)、土佐藩郷士・岡田以蔵(1838-1865)らに襲われた。精一郎は、付近の南側の瓢箪路地を木屋町へ逃げようとした。はさみ討ちにされ斬られる。その後、四条河原に梟首された。
 精一郎は、急進過激な攘夷討幕を唱え、薩摩、長州、土佐藩について公家に中傷していたともいう。藩に属さない活動が志士らと対立を招いた。酒色に溺れ、志士の反感を買ったともいう。詳細は不明。


*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都大事典』、ウェブサイト「京都市 京都のいしぶみデータベース」、ウェブサイト「コトバンク」


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map 本間精一郎遭難の地 〒604-8016 京都市中京区下樵木町208,木屋町通四条上ル
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