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透玄寺 (京都市下京区)
Togen-ji Temple |
透玄寺 |
透玄寺 |
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透玄寺(とうげん-じ)は、寺町通綾小路下ルにある。朱色の塀に塗られ「あかかべ寺」とも呼ばれている。門前脇には「安産背競地蔵尊」の石標が立つ。
浄土宗、本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
室町時代、9代将軍・足利義兼(1154?-1199)の子・僧の覧公が創建したという。
江戸時代、上下寺町三十六地蔵めぐりの第31番札所だったという。
1788年、天明の大火で焼失した。その後、再建される。(『坊目誌』)
近代、1890年、6月16日、赤松連城ら仏教信徒有志は、貧民救済有志取扱事務所を透玄寺に設置する。第1回演説会を建仁寺で開いた。(「日出新聞」)
◆覧公 室町時代の僧・覧公(?-?)。詳細不明。男性。父・9代将軍・足利義尚の弟で武将・義兼(1154?-1199)の嫡子。透玄寺を創建したという。
◆落合 小八郎 安土・桃山時代の小姓・落合 小八郎(おちあい-こはちろう、?-1582。)。詳細不明。男性。織田信長の小姓だった。1582年、本能寺の変で防戦の末に討死したという。
◆仏像 「木造如意輪観音坐像」(附:像内納入品)(重文)は、 鎌倉時代、13世紀半の作という。等身大の六臂如意輪観音像で、鎌倉彫刻の写実、技巧とともに、鎌倉時代初期に流行した宋風を残す。
附の納入品は、浄土宗西山派の高僧・円空の発願による。鎌倉時代中期、1256年に書写された。現在は京都国立博物館寄託になる。
◆安産背競地蔵 「安産背競地蔵」は、地蔵堂に安置されている。平安時代の恵心僧都(源信、942-1017)作ともいう。自らが難産の末に生まれたため、女性の安産を祈願して刻んだという。(『安産背競地蔵尊縁起』)。16世が安置したという。木造、彩色、高さ70㎝。
◆文化財 安土・桃山時代、1582年の本能寺の変で防戦の末に討死したという織田信長の小姓・落合小八郎(おちあい-こはちろう、?-1582)の肖像画がある。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献・資料 『京都市の地名』、『下京区-都草』、『京都の歴史10 年表・事典』
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透玄寺 〒600-8032 京都市下京区中之町585-1,寺町通綾小路下ル 075-361-1653 |
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