極楽寺 (京都市西京区)
Gokuraku-ji Temple
極楽寺  極楽寺
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 桂離宮の北西に極楽寺(ごくらくじ)はある。桂離宮との関わり深く、かつて八条宮家代々の位牌所だった。
 浄土宗、本尊は阿弥陀如来。
◆歴史年表 室町時代、1549年、下桂村の地侍だった中路壱岐が、称念上人を請来し一寺を建立した。
 江戸時代、桂離宮に近接したため、造営に関わった智仁親王、智忠親王、八条宮家代々の位牌所になる。
 1828年、現在の本堂が建てられた。
 近代まで、洛西における浄土朱寺院の中心になる。
 現代、1987年、庭園が京都市指定名勝になる。
 1988年、庭園の池底防水工事が行われた。
◆称念 室町時代の浄土宗の僧・称念(しょうねん、1513-1554)。江戸に生まれた。号は三蓮社縁誉。江戸・増上寺で親誉、下総国飯沼・弘経寺の祖洞に師事した。江戸・天智庵を開創した。1548年、知恩院祖廟の南隣に草庵を結び六時念仏を行う。信徒により堂舎が建てられ、念仏三昧の道場、一心院になる。47ほどの寺院を創立する。浄土宗捨世派の祖。
◆智仁親王 安土・桃山時代-江戸時代初期の皇族・智仁親王(としひと しんのう、1579-1629)。幼名は胡佐麿(こさまろ)。四親王家のひとつ桂宮の初代。第106代・正親町(おおぎまち)天皇第1皇子・誠仁親王(陽光院)の第6皇子。母は新上東門院(法号桂光院)。1579年、8歳の時、跡継ぎのない豊臣秀吉の猶子となる。1580年、秀吉に鶴松(後に3歳で夭逝)が誕生したため縁組は解消される。秀吉は宮家創立に動き、破格の3000石の待遇を与えた。1590年、御所の北に八条宮が置かれ12歳で初代になる。1591年、親王宣下を受け元服、式部卿に任ぜられ、1601年、一品に叙せられた。1598年、兄・第107代・後陽成天皇が親王に譲位の意向を示すが、徳川家康が反対し良仁親王(第108代・後水尾天皇)に譲位となる。1612年、丹後に下向した。1616年、丹後宮津藩主・京極高知の娘・常子(常照院)と結婚する。
 若年より和歌・連歌を好み細川幽斎に師事する。二条家系の歌学を学ぶ。『源氏物語』、漢学、漢詩、書、絵、華道、茶、琴、蹴鞠、馬術にも通じた。平安時代の藤原道長の別業「桂家」(『源氏物語』の「桂殿」のモデル)の跡地を探し求め、1615年頃に入手、桂別荘を営む。
◆智忠親王 江戸時代の皇族・智忠親王(としただ しんのう、1619-1662)。幼名は多古麿(たこまろ)。智仁親王の第1王子。母は常子(常照院)。1624年6歳で第108代・後水尾天皇の猶子、中務卿に任じられる。1626年、親王宣下を受けた。1629年、八条宮(桂宮)家2代を継ぐ。1642年、加賀金沢藩主・前田利常の娘・富姫と婚礼する。1654年、後水尾天皇皇子・幸宮が親王養子となる。
 和歌は阿野大納言実顕に師事、書道にも優れた。蹴鞠、茶道も嗜んだ。親王は加賀前田家よりの援助も得て、父・智仁親王の造営した桂離宮の書院や堂を整備した。
◆建築 本堂は、江戸時代、1828年に建てられた。
 書院は、江戸時代、1831年に建てられた。
 庫裏は、1881年に建てられる。
◆庭園 庭園(京都市指定名勝)は、書院南にある。作庭時期については不明、書院が建てられた1831年以後とも、この時に改修されたともいう。庭内にある花崗岩製の切石橋には「天保十一(1840年)子年施主若中」と刻まれている。1987年、庭園が京都市指定名勝になる。かつて湧水、流入水量の減少により枯池になっていた。1988年、庭園の池底防水工事が行われ、池泉が復活した。
 南正面に池泉があり、南北方向に細長い。水は北西隅より導かれ、切石橋を潜り南東隅に流された。西に築山があり、立石など大石を配して護岸としている。南岸、正面にも立石の大石の護岸が見られる。江戸時代後期に多くあった築山林泉庭の典型になる。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 案内板、『京都市の指定文化財 第5集』



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map  極楽寺 〒615-8016 京都市西京区桂久方町32   
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