浄慶寺 (京都市中京区)
Jokyo-ji Temple
浄慶寺 浄慶寺 
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 御幸町通に浄慶寺(じょうきょうじ)はある。山号は小野山(おのざん)という。 
 真宗大谷派(東本願寺)、本尊は阿弥陀如来。 
◆歴史年表 平安時代、この地には、武将・源頼政(1104-1180)の旧館があったという。(寺伝)
 年代不詳、当寺の前身は尾州中嶋郡富田村(愛知県一宮市富田仮宮)、浄土真宗の浄慶寺になる。(寺伝)
 安土・桃山時代、織田信長(1534-1582)の命により、檀長・中嶋家、富田家は入洛する。途中、近江国・浅井長政(1545-1573)により、蓮如上人の木像を贈られる。(寺伝)
 江戸時代、1604年、現在地(御幸町通竹屋町)に堂屋が建てられた。真宗大谷派の末寺になる。法名・釋良祐律師を開基とした。(寺伝)
 1864年、禁門の変により焼失した。4世・阿耨院釋元程は和歌、俳諧に優れ、梶井宮の師となる。その遺徳により、梶井宮家より妙心寺門前に仮堂の支援を受けた。その後、本堂が再建された。(寺伝)
◆源頼政 平安時代の武将・歌人・源頼政(みなもと の よりまさ、1104‐1180)。摂津源氏の生まれ。源仲正の長男、母は藤原勘解由次官友実の娘。摂津渡辺党の棟梁。白河上皇(第72代)に仕えた。1156年、保元の乱で、源義朝に従い、第77代・後白河天皇を警固、源為家・為朝と戦う。後白河法皇をめぐり藤原通憲(信西)・平清盛と藤原信頼・源義朝とが対立した1159年、平治の乱で、平清盛方につき、平家政権下唯一の源氏になった。1176年、清盛の推挙により従三位。1179年、剃髪した。1180年、平氏追討のために以仁王を立て、平氏滅亡の契機になる。挙兵したが敗れ、三井寺の僧兵とともに南都に落ち延びる。途中、平知盛、重盛の軍に追われ、平等院境内 「扇の芝」で自刃した。
 鵺退治の伝承がある。和歌に優れ「棟梁」として知られた。著『源三位頼政家集』。
◆山号 山号の小野山は、梶井宮家の御料地の小野(左京区上高野小野)、小野山に由来する。山中にあった宮家の御殿を移して本堂とした。その縁により小野山の山号を贈られる。
◆安土城 安土城の築城には、当寺の檀信徒が関わったという。
 狩野派絵師・狩野山楽(1559-1635)も檀家になる。安土・桃山時代、天正年間(1573-1593)、安土城の天守の天井画を描いたという。1582年、信長没後、上洛したという。
◆石地蔵 境内の石地蔵は、源頼政の旧館の由縁になるという。
◆修行体験 お気軽コース(住職との対話、心得、作法など)、写経コース(正信偈を写経)、お経コース、リラックスコースなどがある。
◆仏前結婚式 仏前結婚式を行っている。
◆年間行事 「ぶっちゃけ・問答」(不定期)。
 

*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 当寺縁起の駒札、当寺サイト、『京都事典』



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map 浄慶寺 〒604-0982 京都市中京区松本町563,御幸町通竹屋町下る   075-211-0442
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