安胎寺・地藏院安胎寺 (京都市右京区)
Antai-ji Temple
安胎寺 安胎寺 
50音索引  Home 50音索引  Home





鞍馬石




本堂



本堂
 安胎寺(あんたいじ)は、地藏院安胎寺(じぞういん あんたいじ)と呼ばれる。山号は幡松山という。 
 浄土宗、本尊は玉帯地蔵大菩薩。
 本尊は、古くより安産の地蔵として知られている。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
 平安時代、850年、第55代・文徳天皇皇后・染殿皇后(藤原明子)の難産に際し、夢告により南方大和国添ノ江上郡の地蔵菩薩を信仰せよとあった。使者を遣わし参籠祈願し、無事に皇子(惟仁親王、後の清和天皇)が誕生した。
 900年、染殿皇后が亡くなる。
 約1100年前、902年、染殿皇后の念持だった地蔵菩薩像を内侍(天皇に仕える女官)は譲り受けた。名を光乗比丘尼と改めて仏門に入る。当初、像は嵯峨の深山に安置された。その後、現在地に遷して安置されたのを始まりとする。
 現代、2002年、開基1100年を迎え、現在の本堂、書院の再建が始まる。
 2010年、本堂、書院の落慶法要が催された。
◆藤原明子 平安時代の第55代・文徳天皇の女御・藤原明子(ふじわら の めいし/あきらけいこ、829-900)。染殿后(そめどの の きさき)。父は人臣最初の摂政になった藤原良房。母は源潔姫(きよひめ)。明子は美貌の人であり、文徳天皇が東宮の際に入内、女御になる。850年、惟仁親王(第56代・清和天皇)、儀子内親王(賀茂の斎院)を産む。858年、清和天皇即位により皇太夫人、従一位。864年、清和天皇より「皇太后」、882年、孫の第57代・陽成天皇より「太皇太后」の号を贈られた。
 藤原氏による台頭の基盤を築く。文徳、清和、陽成、光孝、宇多、醍醐の6代の天皇に50年にわたり、染殿の后と呼ばれる。後宮に影響力を及ぼした。
◆光乗比丘尼 平安時代の尼僧・光乗比丘尼(生没年不詳)。詳細不明。内侍。900年、藤原明子(染殿后)の没後、慈覚大師の弟子・玄昭僧正に付き剃髪した。名を光乗比丘尼と改める。902年、本尊を現在地に遷して安置し、安胎寺の開基になる。
◆玉帯地蔵 本尊・玉帯地蔵大菩薩にまつわる伝承がある。
 平安時代、850年、文徳天皇后・染殿皇后が懐妊した。予定日を過ぎても出産の兆しがなかった。ある時、皇后に夢告があり、大和の国添ノ上郡(奈良県添上郡)の地蔵菩薩を信仰するようにとあった。使者を送り地蔵菩薩に安産祈願をすると、無事に皇子(惟仁親王、後の第56代・清和天皇)が誕生した。このため、染殿皇后は高僧・慈覚大師(円仁、794-864)に地蔵菩薩像を彫らせて日夜信仰した。
 900年、染殿皇后が亡くなる。内侍(天皇に仕える女官)は、遺品として地蔵菩薩像を譲り受ける。内侍は、名を光乗比丘尼と改め仏門に入った。当初、仏像は嵯峨の深山に安置された。902年秋、地蔵菩薩より夢告があり、「巽(東南)の方角に遷せ」とあった。このため、現在地に遷されて安置された。それが当寺のご本尊という。
 なお、寺に古くより伝わる玉帯(腹帯)でお腹をさする玉帯加持により、安産、元気な子を産むことができると伝わる。
◆石 本堂前庭に、椅子形の石がある。
 かつて、寺前に西国街道が通じていた。境内の西に桂川があり、桂離宮がある。
 貴人は川の渡しに際して、安胎寺で休息したという。 その時に座った石という。
◆松 境内の松は樹齢400-500年を経ている。
◆年間行事 彼岸施餓鬼法要(春の彼岸)、盆施餓鬼法要、彼岸施餓鬼法要(秋の彼岸)、十夜会(じゅうやえ)。


*要事前予約
*年間行事は中止・日時・内容変更の場合があります。
*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。

*参考文献 『地蔵院安胎寺縁起』、当寺サイト


  関連・周辺桂離宮     周辺     関連      

書院

庭園

庭園、伏見桃山城より移された石燈籠

椅子形の石

西園寺公望邸より遷された地蔵補菩薩立像
map  安胎寺 〒615-0844  京都市右京区西京極東側町41   075-312-7340   9:00-16:00  
50音索引  Home  top 50音索引  Home  top
 © 2006- Kyotofukoh,京都風光