



手水舎

手水舎

神饌所・舞殿・社務所
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宇治田原町の南(みなみ)地区に鎮守の森が残り、御栗栖神社)みくるす じんじゃ)が祀られている。旧郷社であり、南地区の産土神になっている。
祭神は天津彦根命(あまつひこねのみこと)。
◆歴史年表 創建、変遷の詳細は不明。
平安時代、1113年、「御栗栖鎮守大明神」両所に住人・山背友武が奉寄と記され、これ以前にすでに当社は祀られていたともいう。
鎌倉時代、1283年、荒木(あらき、宇治田原町)の大宮神社の神霊より分祀されたという。(社伝)
◆田原祭 田原祭(三社祭)(10月10日)では、当社は「一の宮」として、町内の大宮神社、三宮神社とともに祭りを行う。還幸祭では舞物の奉納があり、府指定無形民俗文化財になっている。
◆建築 本殿・拝殿は一間社流造。
一続きの神饌所・舞殿・社務所がある。
◆栗 境内参道近くに、「御栗栖園故址」の石碑が立つ。御栗栖の地名由来も、この御栗栖園の栗林にあるともいう。
御栗栖園とは、中世(鎌倉時代-室町時代)に、天皇に栗を献上していた園地をいう。この地の栗は、光沢、味の良さにより知られた。かつて、旧暦の11月15日には、朝廷に栗を献上する慣わしがあった。
朝献の栗として、「丹波甘栗御薗」とともに、「山城田原御栗栖」が知られた。蔵人所)くろうど どころ)の所管であり、御薗には御栗栖司(みくるす の つかさ)が補任された。備進に従う栗供御人(くり-くごにん)があった。平安時代初期の『西宮記』には、「田原御栖(みくるす)」と記されている。平安時代、1160年には、五節)ごせち)(旧暦11月)に甘栗30籠を献上した旨が記されている。(『山槐記』)。毎年旧暦9月に、丹波甘栗御薗より四足の桶に入った栗1荷、五節には、この地の田原供御所より甘栗30籠が献上される定めになっていた。
栗の献上は、近代、1887年頃まで続けられていたという。
◆大杉 境内にはスギ、カシ、カエデなどがあり、大木も多いため野生動物も見られるという。
ご神木の大杉は、2001年に町指定文化財)天然記念物)に指定された。幹周5m、樹高30m。
◆年間行事 田原祭(三社祭)(10月10日)。
*原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『京都・山城寺院神社大事典』『京都市の地名』、ウェブサイト「宇治田原町」
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