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堆雲軒 〔建仁寺〕 (京都市東山区) Taiun-ken Temple |
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堆雲軒 | 堆雲軒 |
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建仁寺境内の北西に塔頭・堆雲軒(たいうん-けん)がある。「椿寺」でもある。 臨済宗建仁寺派、本尊は如意輪観音。 ◆歴史年表 南北朝時代、1346年、正仲彦貞(しょうちゅう-げんてい)により、歴代の退隠所として創建される。亡き霊洞院の高山慈照(こうざん-じしょう)を追請し勧請開山に迎えた。当初は塔頭・霊洞院内にあり、正中の寮「堆雲軒」だった。 室町時代、天文年間(1532-1555)、焼失する。 江戸時代、1680年、実伝慈篤により現在地の僧堂旧地に移し再建される。(『山城名勝志』『坊目誌』)。玉璋軒を堆雲軒に改める。 1681年、堂宇が完成する。 近代、古渡庵老師(1878-1945)の時、急須塚が建立された。 ◆正仲 彦貞 南北朝時代の臨済宗の僧・正仲 彦貞(しょうちゅう-げんてい、?-1391)。正中。詳細不明。高山慈照の法嗣。1346年、建仁寺・堆雲軒を創建する。 ◆高山 慈照 鎌倉時代中期-南北朝時代の臨済宗の僧・高山 慈照(こうざん-じしょう、1266-1344)。俗姓は菅原、法名は心鏡、諡号は広済禅師。天台学、律を学ぶ。無本覚心(むほん-かくしん)の法嗣になる。南浦紹明(なんぽ-じょうみん)、高峰顕日(こうほう-けんにち)らに師事した。紀伊・大慈寺の住持、万寿寺、建仁寺26世。建仁寺・霊洞院に移る。1346年、堆雲軒の勧請開山になった。1340年、足利直義の求めにより祈雨し、2日目に降雨させたという。菅原道真の命日に自らの死を予言し果たした。78歳。 法灯系。 ◆実伝 慈篤 江戸時代前期-中期の臨済宗の僧・実伝 慈篤(1624-1722)。詳細不明。父は宇治茶業・上林(かんばやし)春松。建仁寺313世、建仁寺・堆雲軒の住持になる。98歳。 ◆文化財 ◈南宋時代、13世紀の絹本著色「無門慧開像 無本覚心賛」。 ◈南北朝時代、14世紀の龍湫周澤筆、絹本墨画淡彩「不動明王像」。 ◈江戸時代、18世紀の紙本淡彩「達磨図 東嶺自画賛」。 ◆花暦 境内には椿が花開く。 ◆急須塚 古渡庵老師(1878-1945)の時、戦前に、境内に急須塚が建立された。五条坂辺の陶工らによる。 *原則として年号は西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。 *参考文献・資料 『建仁寺』、『京都の禅寺散歩』、『建仁寺 建仁寺と栄西禅師』『京都・山城寺院神社大事典』、『旧版 古寺巡礼京都 6 建仁寺』、『昭和京都名所図会 2 洛東 下』 、ウェブサイト「コトバンク」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
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