大中院 〔建仁寺〕 (京都市東山区)
Daichu-in Temple
大中院 大中院 
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【参照】花見小路
 建仁寺境内の北西に境外塔頭・大中院(だいちゅういん)がある。門前には花見小路が通じ、山門は西面している。 
 臨済宗建仁寺派。本尊は観音菩薩。
◆歴史年表 南北朝時代、1342年、康永年間(1342-1344)とも、建仁寺27世・東海竺源(とうかい じくげん)が創建した。その塔所になる。(『坊目誌』)
 室町時代、応仁・文明の乱(1467-1477)により荒廃した。
 1552年、焼失した。
 江戸時代、1655年、承応年間(1652-1655)とも、雪窓霊玉(せっそう れいぎょく)が中興した。現在の本堂、庫裏などが建てられた。
 文化年間(1804-1818)、景和竺応、全室慈保(ぜんしつ じほ)らが堂宇を再建する。霊洞院より移築する。
◆東海竺源 鎌倉時代-南北朝時代の臨済宗の僧・東海竺源(とうかい じくげん、1270-1344)。東福寺の無関普門らに学ぶ。紀伊・西方寺(興国寺)の無本覚心の法嗣。筑前・聖福寺、万寿寺、建仁寺27世住持。諡号は法光安戚禅師。法灯派。
◆雪窓霊玉 江戸時代の臨済宗の僧・雪窓霊玉(せっそう れいぎょく、?-1669)。詳細不明。1655年、建仁寺・大中院を中興した。
◆景和竺応 江戸時代の臨済宗の僧・景和竺応(けいわ、?-?)。詳細不明。文化年間(1804-1818)建仁寺・大中院の堂宇を再建した。
◆全室慈保 江戸時代の臨済宗の僧・全室慈保(ぜんしつ じほ、?-?)。詳細不明。妙光寺63世、建仁寺348世。文化年間(1804-1818)、建仁寺・大中院の堂宇を再建する。
◆建築 現在の本堂、庫裏は承応年間(1652-1655)に再建された。
 書院の8畳2室は、慶長年間(1596-1614)に建てられている。その後、文化年間(1804-1817)に霊洞院より移築された。
◆茶室 書院の西にある茶室「燕舞軒(えんぶけん)」は、江戸時代、宝暦年間(1751-1763)、白堂笠津の時に建てられたとみられている。三畳中板台目幅洞床。庵号は陶淵明(365-427)の詩句「燕舞春日長」より採られた。北の庭より縁を経て貴人口より入る。床の間前に地板があり、雁木形に中板が置かれ、間に炉が切られている。地板の右に丸窓、引違の貴人口がある。床の間左に火灯口がある。草書の扁額は黄檗宗・無染丹崖(みぜん たんがい、?-1764)の筆による。
 席の南の七畳に遠州流の茶室がある。近代以降に加えられ、炉が切られている。その西の六畳に住職の居室があり、北の物入前地板にも丸炉がある。
◆文化財 鎌倉時代、14世紀の絹本淡彩「闡堤正具像 自賛」1幅(重文)、京都国立博物館寄託。
 室町時代、15世紀の松屋宏蔭筆、絹本淡彩「大黒天像 原古志稽 賛」。
 清時代、1718年の玉けん筆、紙本墨画淡彩「法李唐山水図」。
 江戸時代、17世紀の狩野安信(1614-1685)筆の絹本墨画「山水図」。
 鎌倉時代、13-14世紀の紙本木版「無門関」。
 江戸時代、1607年の「七条袈裟 三江紹益所用」。
 江戸時代、18-19世紀の奥田頴川(1753-1811)作の「赤絵十二支四神鏡文皿」「呉州赤絵麒麟花鳥文火入」など。
 江戸時代、19世紀の仁阿弥道八(にんあみ どうはち、1783-1855)作「色絵竹隠和尚坐像」など。
◆障壁画 書院に安土・桃山時代(17世紀)、海北友松(1533-1615)筆、紙本墨画「山水図襖(彩山水画)」、水墨「鷺図」など8面がある。


*年号は原則として西暦を、近代以前の月日は旧暦を使用しています。
*参考文献 『建仁寺』『京都の禅寺散歩』『建仁寺 建仁寺と栄西禅師』『京都・山城寺院神社大事典』『旧版 古寺巡礼京都 6 建仁寺』『京の茶室 東山編』『昭和京都名所図会 2 洛東 下』 、ウェブサイト「コトバンク」


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